Saturday 1 December 2012

できない、じゃなくて、やろうとしない?

連日どうしても目を離せない日本の選挙に向けた動き。

新聞のWebサイトでは、政党の動き、政治家の発言、有識者とされる人たちの考えなどが色々と読めるが、これはやはりその新聞社の思惑・考えが反映されたものが引用・掲載されがちなので、大体斜め読み。

これに対し、FacebookなどのSocial Mediaでも、これまで全くといっていいほど政治に関する発言は少なかった(自分の周りのひとだけ?)。ただここにきて、大分変わって来た。混迷する状況を嘆くものの、将来子供たちのために、今行動を起こそうと投げかける投稿。サポートする人・団体などに関する記事。客観的な視点で想いをつづる投稿 など。

各種目を通していると、色々な想い・考えがでてくるのだけれど、今回は1つ新しいエネルギー開発に関して。今までは、コストパフォーマンスや、安全性(神話は崩れているけど)などを元に、原発がもたらされていたように思う。というより、昨年から続くこの原発事故までは、原発のある地で暮らす方々、原発関係者以外は、特にその是非を深く考えたことがないまま、今の原発にかなり頼る状態のなかに置かれたいたという感じに思える。

そして事故が起こり、段々と真実と向き合うにつれ、原発というものを超えた問題があることに気づき始めている人も多くなっている。ここ1年日本にいなかったのと、勉強不足なこともあり、正しいか分からないが、この選挙前までは、何故ここまで原子力にこだわるのかについての本当のことを、一部の追求者が告発し始めていたものの、公な場で政治家や政治に関わる人が本音を語ることは少なかったように思う。だが、この政治の動きのなかで、はっきりと口にし始めている政治家も出てきている。そして自分1個人として不快なのは、その真意があるからこそ推進(維持?)しようとしている政治家たち。その上、「やれるはずがない」の一言。

でも、「やれるはずがない」のは、「やろうとしていない」からの何物でもないと思う。勿論、原発に頼りきった生活基盤が敷かれているなか、これを変えていくことの難しさ、様々な利権、そして何より原発を維持する本当の(或いはもっと他にもあるかもだが)真意を守る人達が上に立っている限りは難しいかもしれない。また開発するテクノロジーがもしかしたら未だ目処がたっていないかもしれない。

ただ、こうした地震・火山の上に住んでいる日本人だからこそ、そして技術力のある日本だからこそ、国として、新しいエネルギー(或いは既に開発されて、汎用化に向けて課題のあるもの)を開発・展開するチャレンジに力をもっと注ぐ方に動くべきではないかと感じる。その後、日本という地で安全に展開できるものであれば、他の国々も活用できるかもしれない。それに、日本で起きる事故は、日本国内だけではなく、他の国にも影響を与える訳で、自分たちさえよければそれでいい訳ではない。もう少しネガティブな条件にいることを良い方向に捉えて&良いモチベーションに変えていければ、何か新しい道筋を見つけて、色々な意味で停滞している日本を復興させていけないのだろうか。

言うは易し・・・かもしれないが、何か歯がゆい気がする。

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