Sunday 16 December 2012

日本での様子に(少し)感じる危機感。

日本での国政選挙・都知事選挙などが終わって約1週間。何となく色々と感じることがあり、備忘録的にちょっと書いてみる。

まず今回の選挙戦を見ていて、一部ではあるが、政治家の方々の言動にげんなりする場面が多かった。「ポリティカル」に動くことを開き直ったように「是」とする政治家たち、これまで殆どの人たちが知らず、最近になってオフレコのように伝わってきている原発関連の事実を、開き直るように肯定する政治家たち。自分たちの対抗馬となる政党・人を徹底的にこき下ろす政治家たち。どこか芯のしっかりとした強い「人」を見つけることが非常に難しかったように思う。今はまさに1つの岐路だと思うのだが、この強い・まっとうな志のあるリーダー不在の日本はどこに向かってしまうのか、やはり不安に感じる。

ただたまたまインターネットで調べ物をしているときに、自分の経験からくる強い想いを秘めて立候補をしている若手の人たちを見つけたときには、マダマダ日本にも良識ある、将来楽しみな人がいる!と嬉しくなったりするものの、こうした少数派の人たちが心折れずに、志を持ち続けられることを切に願う。

一方、私たち一般の人たちに目を移してみると、ここもまた危うさを感じる。今回は、今までの選挙では見たことのないほど、多分危機感からきているであろう盛り上がりがあったのだが(少なくとも自分の年代は)、色々なものの見方、捉え方、発言の仕方、他、非常に危うさを感じた。自分が「これを支持したい」という具体的なものを見出し、サポートすることは問題ない。ただ、その自分が信じた方向にいる人たちやその考えの先導者たちに、流されすぎて、ある種、過激化していたように感じる。

自分が正しいと思うことを主張するのは良いのだが、それ以外のことを、目・耳を傾けずに闇雲に批判する。極端にふれた人たちは、自分がサポートしたくない人・集団をひとくくりにして、汚い言葉で徹底的に罵倒する。どうしてこんなことになってしまっているのだろうか。

そこでふと思い出したのが、自分がMBA留学したときも、そしてアメリカ系の外資系企業で働いていたときにも、日本人が「傾向として」(全員ではない!)、議論慣れしていない。また意見を公然と述べるということも慣れていないところがあり、他国の人たちと仕事をする際になかなか力を発揮しきれない課題があった。(アジア圏の他の国の人たちにも多いが) 英国留学した時に本コースが始る前の英語コースでは、英語が苦手だから意見が出せないというだけではなく、教育による違いからきていると指摘を受け、妙に納得。

今の学校は分からないけれど、自分たちまでの世代は少なくとも、授業では先生から一方的に何か(それもどちらかというと「事実」的なこと)を教わり、特に意見を多く求められる機会も少なく、テストでは「先生から教わったことを、いかに理解して、Re-produceできるか」が大多数の評価軸になっていた。残念ながらこれは、大学の授業の一部(特に教養的な授業)でも続いた。つまり、何か物事を多面的に捉えること・Critical Thinkingすることが訓練されていないし、議論をしながら(即座に)意見をまとめる・発表するという訓練もほとんどなく過ごしている。そうした環境で大きくなっているので、今見受けられる状況も、なるべくしてなったように感じ始めた。

これからは上の人たちがこうしているから、こう言っているからと、右に倣えでただただ頑張る時代は終わり、これからは自分たちの将来を自分たちがしっかりと考え、動いていかなくてはいけない時代に来ているように思う。そのようななか、誰か扇動的に過激なことをしている人たちに流されたり、一方的に乱暴に自分の考え・意見を押し付けるのではなく、一人一人が、もっとまっとうな議論ができる力を見につけなければいけないのではと感じる。

そして、子供たちへの教育の仕組み・制度も、この点についてしっかりと力をつけられるよう、考えられたものになる必要があるのではと思う。言うは易し、、、だけれど・・・、自分も含め、今本気で考え直す・立て直す時に来ている気がする。

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