Thursday 14 August 2014

パトリシアの近況。

昨年3月にハンディキャップをもって生まれた子羊、パトリシア。ハンデを持ちつつも、いつも健気に、素直に育っており、この冬までは、あまり病気はしたことはなかったのだが。

この夏、少し芳しくないことが幾つか発生。何故か今年あまり胃腸の調子が良くないのか、下痢が続く。下痢が続くと、実は新たなリスクを招く。それは、緑ハエ。ハエには実は、黒と緑のものがおり、このうち緑のハエは、少なくとも羊の大敵。汚いところにたかって、羊の肌に大量に卵を産み付け、瞬く間に卵がかえり、このハエの子供が羊の血を吸って成長する。このため、放っておくと、羊が死亡してしまうらしい。

その恐るべき緑ハエが、パトリシアを襲う。大体いつも同じような反応や行動をするパトリシアの様子があまりに変なことがあり、我がパートナーを呼んだところ、孵化し始めたものを発見。急いで毒薬をかけ、予防薬を飲ませ、何とか危機は免れる。


そして先週。いつもであれば、自分の姿を見ると、時には走りより、時にはのそのそっとマイペースで歩きながらも寄ってくるパトリシアが、自分が来たことは気付いていながらも、ぼーっとどこかを眺めたままたたずんでいる。更に、いつもであれば名前を呼ぶと、ぴくっとするのだが、これまた耳が垂れたまま、反応せず。ほんの時折、のそのそっと歩くのだが、本当に元気がない。そして、大好きなはずの餌も草も全く口にしない。あまりに変だ・・・と我がパートナーに訴えてみたところ、原因は分からないけれど、胃腸の調子がおかしいのではとのことで、薬を与える。

普通薬を与えると、1-2日で復活することもあるのだが、今回は長い。1週間を過ぎても、変化があまりない。餌の内容を変えてみたりしつつ、更に経過観察。毎日何回か様子を見ていたのだが、パトリシアの容体はよくなりきらないものの、何度か微笑ましい場面に遭遇。それは、いつもパトリシアと一緒に暮させている茶色の羊ちゃん。最近はあまりにすくすくと育ち、先に生まれたパトリシアを、身長も体重もすっかり抜き去る。それでも、いつもなぜか「人生の先輩(!?)」のパトリシアをたてつつ行動をしたり、気にかけたり。また自分とパトリシアの関係を妙に尊重する。

今回は、気分が悪くて寝そべっているパトリシアの前で、自分がしゃがんで様子を気にしていると、何と、パトリシアのお尻を頭突き!まるで「ママを心配させないために、ちゃんとしろよ!」と言っているかのよう。でも、この頭突き、普通の自己中な性格の羊がするのであれば、本当に容赦ない形なのだが、愛情のある形。

そしてその後も、「家」にこもって、もそもそっとしているパトリシアを後ろから気遣うように歩いたり、立っているだけで歩こうとしないパトリシアの横に立ち、じーっと見たり、頭で撫でたり。それも、でしゃばることもなく、ぺったりとするのでもなく、相手を嫌がらせない距離感を保ちつつ。

ということで、最近はパトリシアのみならず、この一緒に暮らす茶色羊ちゃん(チャコ)も、自分にとってはかけがえのない存在の一つに。二人このまま、長生きしてくれると嬉しいな・・・なんて思う。


Wednesday 13 August 2014

あるがままの自分で。

最近たまたま行き着いた記事のなかで、幾つか響いたことのあるもの。一部少し難解なロジック(!?)もあるように感じるが、これを読んで、オランダに来てから少し頑張りすぎてきた自分・自分に期待しすぎてきた部分を反省。オランダでの道を切り開くため、試行錯誤することは続けつつも、少し自然体・落ち着いてみられるように・・・なんて感じる。

さらにもう一つ思い返したこと。それは、日本という社会で生きてきたときには、ある種守られているものの、どこか息苦しく感じることがあった。気にしすぎだったのかもしれないが、周りからの「こうあるべき」「こうふるまうべき」みたいな空気感(言葉で言われることもあるけれど)にがんじがらめになっていたようなことも多々あったんだなということが、後から分かった。

ただ日本をベースにのみ生きてきた時には、このどこからくるのか分からない、何を苦しんでいるのか分からない状況であったのだが、一度イギリスに留学し、色々な制約から解き放たれ、弱いところもさらけだし、素に近い自分でいた中でできた親友たちから、別れの時にかけられた言葉、「きみのままでいいんだよ」で目が覚めた気がした。この記事を読んでいて、その時の想いが、ムクムクっとよみがえってきた。色々な(再)目覚めもありつつ、上記以外も含めて自分の人生に大きな気づきこの親友たちを懐かしんでみる。久しぶりにまたコンタクトしてみよう。


Tuesday 12 August 2014

お庭のお花たち。

ここ暫く撮ってみたお庭のお花たち。










お庭のお手入れで摘んでしまったお花たち。


Monday 11 August 2014

海外での道の切り開き方。

オランダに移ってから、まずは自分の中では異文化で暮らすにあたって必須と思っていた語学習得と文化の理解などに一生懸命となり、その次に生活基盤として必要な「家」の立ち上げに時間を割き、それらがひと段落した時に運よく期間限定の契約社員のお仕事を得つつ、日本から発注した小さな仕事/牧場のお手伝いのやりくりにアップアップし、その区切りがついた時に結婚。そして次は・・・?

最初の言葉習得に集中した1年を除いては、大体3-6か月ほどのペース、何かしら「メイントピック」に全力投球気味であったような2年半。この間、自分の中でも沢山の想いが交錯してきた。多くは「焦り」や「空回り」を生んでいたが、何となくここ2-3週間で少し収束モードになり、何となく小さな穴から光が見えてきつつある。ただ、依然と結論が出ていたり、道が完全に切り開けている訳ではないのだが。。

人によって、生き方や、視点・考え方は違う。それぞれの人生のフェーズで人それぞれがいいと思った形を進めばよいと思う。自分に関しては、結婚して、とりあえず食べられるのであれば、ゆっくりしていれば?とか、家族・家庭を守ることが第一で、仕事はそれができた上ですることでは?といった指摘を受けたりすることもあるし、それらも一理あるのだけれど、どうも自分にはしっくりと来ないような。人から見たら「なんでまた・・・みっともないあがきをして」と思われているかもしれないけれど、頭でイロイロ考えつつも足を踏み出してみると、良きも悪る気も見えるものもあるし、自分が本当に求めているものを見えるきっかけがつかめていくのかなと。

こんなあがきを続けているからか、響いたものが幾つか。一つは、大学時代の友人のインタビュー記事。長く日本を離れて暮らされていたため、他の友人たちを経由して、いつも風の便りでその行方を聞いていたのだが、最近Facebookで再会。そしてたまたま、今の「天職」と思えるものに出会うまでについて取材を受けたお話がここに。自分もこうした道を切り開けるのか分からないけれど、とても勇気づけられたように思う。

またこちらは逆に、多少試行錯誤はあれど、海外に移る前から理路整然と考えて、道を切り開かれている方のお話。自分の2年半の時間の過ごし方を反省・・・しつつ、沢山のことに守られた自国を飛び出して、道を切り開かれている様子はとても参考になったように思う。

自分の生まれ育った国、自分の存在が確立した国で、会社に属して働くという形から飛び出し、想像以上の難しさを痛感する日々はまだ続くが、いろいろな考え方・アプローチを見聞きしつつ、「定型」かた飛び出た自分らしい自分の道を作っていけたらなと思う。

Sunday 10 August 2014

今更ながらの発見・・・これは便利!

大分以前のブログポストで書いた、見逃した過去のTV番組を見ることができるWeb Site-Uitzending Gemist

便利だとは思いつつ、定職がないにもかかわらず何だか忙しかったり、そこまでして見たいと思う番組を見つけきれていなかったり、見てもやっぱりマダマダオランダ語が分かりきらないので、結局あまり活用しないできてしまった。

・・・と、何の気なしに、「このサイトでTV番組を再生するときに、888(テレテキスト)機能によるサブタイトル表示って本当にできないのかな?」と調べてみると・・・何と発見!(何て今更??)

再生したい過去の番組を探し、再生を始めると、右下に4つほどボタンが出る。この中の「T」という文字を押すと、サブタイトルを表示するか、非表示にするかが出る。ちなみに、フルスクリーンで表示しないと、サブタイトルが下のメニューバーに微妙にかぶさり見えないので、要注意。


これを発見して以来、最近また頑張り始めたオランダ語学習に活用。現在やっていることは、まず、過去のデルフト工科大学のコースの本を、コツコツとやり直し。あまり沢山消化するというよりは、DVDを使って、一文一文、一語一語発音に気を付けながら、聞いて音読したり、使えると思える表現を文章ごとノートに書き留めたり。 また、昨年修了した上級コースの新しいテキストが発売されていたので、デルフト方式に少し沿いつつ、一文一文音読をし、意味を確認し・・・を進めている(上級コースは、1章が長いので、コースに参加していないと、なかなか当時の激しく早いペースで学習しきれない・・・けれど。。)

これに加え、子供向けの本を読んだり、このGemiste Programmeの中から、面白そうなものをディクテーションしてみたり。デルフトのコースの時にもよく、テキストのディクテーションをしていたのだが、その時にはコース中のプレッシャーの押しつぶされていること、また少し硬い表現が多かったり、興味のないトピックもあったりで、ヒステリックに近い形でやっていた。でも自分がこれはと思って選んでやると、例え決定的に聞き取り切れない箇所が散在していても、パズル的感覚で楽しくできるような。しばらくはこれにはまりそう?

Friday 8 August 2014

語学学習は楽器の習得と同じ?

忙しさ・難しさにかまけて、少しおろそかになっていた、近所外に住むお友達・知り合いとの交流。フリーで受けたお仕事がひと段落した最近、少しずつ交流を復活してみる。

そのうちの一人で、日本で勤務した最後の会社の、オランダオフィスの元同僚。ひょんな縁で知り合い、正味1週間同じお部屋で仕事をしただけなのだが、細々とKeep In touch中。(もしかしたら以前のブログのポストでも登場したかも?) 多分理由は、彼が欧州の人とはいえオランダでは外国人であり、お互いの立場や状況を理解し合いやすいこと、また何より彼が日本文化・日本語に大変興味を持っていること、からかもしれない。

そして先日、何回かのメールの投げ合いの後、1年半ふり以上に再会。久しぶりにも関わらず、相変わらずいつも話がつきない。色々な話をした中で、いつも沢山のオランダで生きるヒントをもらえるのだが、そのうちで、実用的なものを1つ。それは語学の習得について。

彼は、母国語の他、英語、長く住んでいた欧州の他の国の言葉の3か国語が流暢。そして日本語とオランダ語はほんの少々知識がある。てっきり簡単に言葉を習得したのかと思いきや、「欧州人の僕だって、欧州の他の国の言葉の習得はいつも大変だよ。ちなみに、英語が本当に使えると実感できるまでに8年かかったと思う」と。特に、初めての外国語だった英語は、親御さんに英語で全授業をやる学校に入れられて、最初の1年は全く分からず、つらいことだらけで、意図的に記憶から抹殺しているとか!

そんな彼の言葉の習得のアプローチは、「音」の出し方と、「文法」をしっかりまずはおさえること。だから、「楽器を習得するのと同じだと思うんだよね」と。確かに、彼の言う通り、彼の英語は訛りやよどみがない。周りもその音を聞いて、「すごく上手だと誤解してくれる」とか。そのような話の中で言われた一言、それは「昔、日本人の知り合いに英語を教えた時に気付いたのだけれど、日本人は、欧州の言葉の母音の音をしっかり発音するのが苦手だよね。例えば、『O』や『U』とかね。多分、自分が日本語の音を習得するときに気付いたのだけれど、大分音の質が違うのだけれど、それに気づいていないのでは?」とのこと。

さっそく彼から、舌の位置、口の開き具合など、簡単に上記の発音方法を教えてもらうと、なるほど!今更分かった。いつも英語やオランダ語のネーティブの人が話す音と、どこか自分の音の性質が根本的に違うように感じていたのは、こういう基礎的な音の出し方が問題だったのではということ。友人たちからは、「ネーティブと同じ音が出せなくったって、愛嬌があっていいじゃない~!気にするのやめたら」と言われることが何度かあったけれど、全く同じとはいかなくとも、最低限相手が認識してくれるレベルの音にまで上げないと、どうしても伝わらないことも事実。こうして理由が分かってきただけに、音について真剣にやり直しをしてみようと決意。

まずは身近なところから。我がパートナーに、「この音ってどうやって発音している?」としつこくしつこく聞いてみる。でも発音について意識して詳しく取り組んだことがない人にとっては、これは混乱・苦痛にしかならないようで、しまいには、「もうやめてくれ~聞かないで~」と逃げられてしまう。。

そこで今度は、インターネットでオランダ語の母音・子音などの発音の仕方を映しているビデオを探したのだが、、、異常に数少ない。。ならばと、音の近いドイツ語の教材探し。ただ、見つかったとしても、口の外側の形が分かる程度で、なかなか口の中の動き(舌の位置とか、色々)を見せているものはない。。そのような中で出会ったのが、日本の大学のドイツ語講座の先生や、声楽の専門家がドイツ語の歌をうまく歌うためにと、ドイツ語の特殊な音をどのように発音するか書いていると思われるページたち。口の形、舌の位置、諸々、文字で書いてくれている。更には、やはり日本人向けに書いているので、日本人が難しがるところについても注釈が!

こうした説明を元に、マネをしつつ、もう1つ試したこと。これは、この友人がアドバイスしてくれたもう1つのこと。それは、自分の音を録音して、聞いてみること。彼曰く、「確かに恥ずかしい。でも口の開け方、舌の使い方次第でどのように音が違うか分かるし、矯正していきやすい」と。確かに過去、日本人の英語マスター術のようなもので、見聞きしたことはあったが、ここまできたらやってみるかなということで、使ったのはITouchについているボイスメモ機能。まずはYoutubeなどで、オランダ人の発音を録音して、そのすぐ後に自分の声も録音。この機能の優れているところは、音の再生だけではなく、音の波長が表示されること。

・・・・など、やってはいるが、マダマダ、本当にマスターできるまでの道は長そう。練習をしてみては、我がパートナーに聞かせると、「う~ん、、、違う」と言われたり、「あ、ちょっとだけ近づいたかも」と言われる程度。でもめげずに頑張るかな。

Thursday 7 August 2014

仕事探し・・・は、マダマダ厳し!(5月末~8月初めのダイジェスト)

4月末に契約が終わってから、再開したオランダでの仕事探し。結婚式の準備や、フリーランスとして単発に依頼を受けた仕事もあり、正味1か月ほどは、時間を避けなかったのだが、なかなか難しい状況が続く。

以前のポストにも何回か書いてきているのだが、人材マッチング・派遣を専門とする会社に属する「リクルーター」と呼ばれる人たちは、実際一緒に働いた人たちから推薦を受けているにも関わらず、マダマダ自分のようなバックグラウンド・経験者に対してどこか否定的な対応が多い。そして、やっと数少ない協力的な人に出会えたとしても、今度は新たな壁。それは、会社内にいる採用担当者たち。どうしても、求めるプロファイルに合う人のみにフォーカスするきらいがある。(仕方ないのだけれど・・・でも現場のリーダーは実際には、キーとして必須な事柄以外には、「ポテンシャリティ」も見てくれる) 以前は無視されることが多かったのだが、最近は履歴書をスクリーニングした結果が来るようになったものの、理由として書かれているのは、「あなたの経歴は、このポジションの仕事をするには非常にOverspecです」ということで、なかなか取り合ってもらえない。

またどうにか押し込んでもらったインタビューでも、大体採用担当者が第一次インタビューを担当することが多いので、最初から何だか懐疑的。更に、色々な質問に対して正直に答えていくと、「あなたの物事を見ている視点は、マネジャー以上の人がする視点ですね。もしこのポジションで仕事をしたら、途中から満足しなくなるのではと、本当に心配です」と。そして案の定、「オランダでキャリアを作り直すチャンスを上げたいのはやまやまだけれど、やはりレベルが違いすぎるので、見送りにします」と。

多少不況から少しずつ脱してきていて、求人数も増えているように感じるものの、ミスマッチング状態での就職活動に、だんだん限界を感じてくる。そのような中、友人・知人を介して紹介を受けたり、かつて日本で勤務した会社のOB/OGのネットワークで、過去の経験や語学力などを活かして、「これならできそう?」と思う案件を、フリーで受けて見ることに。

これまでオランダに実体のある会社・オフィスで、自分が専門としてきた内容の仕事をすることにこだわってきてしまったのだが、こうしてフリーで仕事をしてると、見えてくることが色々あったり、思わぬ人たちと知り合う機会も出てくる。「フリー」で仕事をすることは、自分の力次第で、自分の評判を作っていくことであり、特に自分の能力以上を見込まれたことをやるとなると、かなり直前不安に押しつぶされることもある。だがえいやで飛び込んでみると、それ以上に得ることの方が多いように感じる。またそれだけのチャレンジをしているため、やった仕事に対して、まっとうな報酬を得られるように感じる。定期的に案件を得られるわけではないので、オランダで自活できる水準の稼ぎには達していないが、自信も少しずつ出てきたように。

まだオランダで正社員・契約社員・派遣社員などといった形で働くことをあきらめた訳ではないが、「Better than Nothing!」 逆に、日本で勤務している時には、会社員として、会社が求めることに従わざるを得ないこともあったが、フリーだからこそ、内容も役割も違うことに、チャレンジができるという楽しさもあるのかも?と感じたり。

とはいえ、こうした案件集めもそんなに簡単ではないのも事実。場所の問題(オランダの片田舎に生息)、タイミングの問題、力の問題、人とのネットワーク範囲の問題など。でもとりあえず、こうやって少しずつ、自分の道を切り開いていけるよう、恐れず、足だけは動かしていこうかなと思う。

Wednesday 6 August 2014

2014年5月下旬のダイジェスト。

暫しの間、目の回るような忙しさと、(特にブログを書くことへの)エネルギー/モチベーション切れのため、気付けば最後の投稿が5月の中旬となったまま、放置されていたこのブログ。。

でも、その時々でどんなことが起き、どんな気持ちで生きていたのかの記録も兼ねているので、少し振り返って、書き留められることを書いておこうと思う。

何といってもこの月の大イベントは、結婚式と、結婚式に合わせてオランダに来てくれる家族の迎え入れ。まず家族の迎え入れのために、お家の大掃除。お庭・牧場周りは、我がパートナー父と母が乗り込んできて、一斉掃除。約3日間、懸命に働き、何とか体裁をなす。ほっとしたのもつかの間、次は家の中。自分たちが日常使う部屋以外は、日本からの引っ越しの時に持ち込んだ沢山の段ボール箱で埋まっていた。時間がある時に、じっくりと片づけたいからと言い張る我がパートナーの意向を聞いてではあったが、もう時間切れ。これを機に一気に段ボールを空け、一斉にお片付けをし、お掃除。これまた1週間ほどを要する。

この受入れ作業と並行して行ったのが、結婚式の準備。簡素に、こじんまりとと思いながらも、結構色々と決めなくてはいけないこと、手配しなくてはいけないことが出てくる。それに気づいたのが、「これ」と決まった標準の形がないものが多く、「あなたたちの好きにしていいのよ~」というものだらけ。例えば、着る洋服も、「カジュアルでも、日本の着物でも、洋式でも、あなたたちがしたいように」。自分たちの座る向き、家族の座る場所なども、「好きにしていいのよ~」。もちろん、よくよく突っ込んで聞いてみると、「まぁ、こういうケースが多いかしら」というものもあるのだが、自由にやってよしとはこんなに大変なことなのかと思うことも。

また今回、当日の式を取り仕切る市役所の担当者として、長年この仕事を専門にしてきた我がパートナーの伯母さまにお願いすることに。そのため、形式的以上に、式の進め方や、式で話をしてくださる内容やらを、だいぶ長い時間をかけて話し合う機会も多々。でも、当日式を挙げた際には、こうして家族の一員である伯母さまが進行してくださったことにより、言い表しがたいのだが、家族的な温かい雰囲気・打ち解けた雰囲気で進み、本当に良かったかなと感じる。

そして、バタバタとしているうちに、家族の到着。良く我がパートナーの家族が顔を出すとはいえ、家の中に沢山の家族が一緒に寝泊りをすると、家がぱっと明るくなるように感じる。常ににぎやかな声と、笑顔と・・・ 大変なこともあるかと思うが、大家族っていいななんて感じたり。それはさておき、結婚式前に、近所の地域を中心に観光に出かけたりしつつ、時はあっという間に過ぎ、結婚式当日に。

牧場があり、世話をする動物が沢山いて、毎朝世話が必要なこと、また時間がなくて準備ができていなかったことを急いでするなど、朝からてんてこ舞い。また我がパートナーの時間が全く取れず、朝一から、自分で車を運転して、メーキャップさんの家に、髪のセットをしてくれる美容師さんのところへとおおわらわ。「結婚式の日なんだ!」という感慨があまりない。

更に、全てが揃ってみてから、「やっぱり記念に写真屋さんで写真撮ろう~」と、急きょ他の村にある写真屋さんに突撃アポ。何と、昼休みでお店を閉じている時間を返上して、スタジオを開けてくださることに。大きな都市でないから何とかなったのではということだらけ!

何から何までドタバタだったけれど、無事、市役所のホールにて式を挙げる。当日は、休日と週末に挟まれてており、市役所が公休の日であったため、完全貸切状態。これまた、家族だけの式であることに加え、のんびりとゆったりとした雰囲気にもなったのかもしれない。

その後は、参加をしてくれた家族たち、そして友人で証人となってくださった方々と共に、少し先の村にある、二人の行きつけ&気に入りのビストロで、High Tea形式のレセプション。「レストランの一角を貸切にするのは、忙しくなるDinner Timeの始まる前までね!」との約束だったものの、ご厚意により、HighTeaの時間帯をかなり超えて、終了。

こうして忙しい時間のなか、参加してくれたオランダ・日本の家族、そして式やレセプションを、ぎりぎりまでかかる調整にも関わらず、協力的に対応してくださった方々に感謝!