Sunday 31 March 2013

2013年イースター。

毎年日付が変わるイースター。 昨年は4月中旬頃であったが、今年は3月31日。このイースターの前の金曜日が「Good Friday」、イースター翌日の月曜日が「2de Paasdag」(イースター2日目)となり、大体の人がこの3月29日~4月1日がお休みとなる。

クリスマスの時と同様、スーパーマーケット他、小売店の開店日や開店時間も、一部の日日では限定 or/and短縮するためか、金曜日・土曜日は地元のスーパーマーケットは驚くほど混雑!休みの期間の食料品の買い込み+イースターのお祝い(?)のためのお酒・スイーツなどを買っている様子。

世の中はお休みムードだが、我が家は”趣味の”牧場(趣味の域を超えると思うけれど・・・)があるため、我がパートナーの本業(どっちがという感じだけれど・・・)が休みとはいえ、完全休養とはならず。でも、少しだけ時間に余裕があったため、「子羊を見に行きたい!」というお客様を少しお迎えしつつ、牧場のお仕事をしつつ、イースターを迎える。

殆ど何もイースターの用意をしてなかったのだが、お客様から頂いたイースター関連の花束や、我がパートナー母より借り受けたイースターの飾り付けを、急きょ部屋に飾り付け、少しだけイースター雰囲気?

ちなみに、寒い日が続くオランダ。この日も少し雪がちらつく天候!いつまで続く寒い春。早く花が溢れる日々が来ることを願って!

Saturday 30 March 2013

各国でマダマダ課題?-仕事と家事&子育ての両立。

最近知人のFacebook上でのシェアリングで読んだ記事をきっかけに少し感じたこと。

まずは読んだ記事だが、イギリスBBCの記事で、"Japan: The worst developed country for working mothers?"というもの。 確かに、日本の働く女性の活用という点で課題があることは、国際機関の調査でもよく言われていることであるし、国内的にも自覚はあると思う。ただ、程度の差はあれ、決して日本だけが問題を抱えているわけではないように感じ、少し記事の書き方に西洋以外の社会への偏見が見え隠れするように感じてしまった。(考えすぎ?)

まずこの記事での非常にラフな要約(少し斜め読み気味なので、要点を少し逃している部分もあるかもだが。。)。 日本では子供をもうけた女性の70%が、一人目の子供を産んだ際にキャリアをギブアップするが、その理由として挙がっているのが、以下の点。

- 日本の労働環境・カルチャー(長時間労働や男性上司・同僚の意識など)、
- 旦那さんの協力の少なさ
  -パタニティリーブの仕組みはあっても、利用している人があまりに少ない
  -旦那さんの家事・子育てに協力する時間の少なさ(独米は1日あたり3時間、日本は15分!)
‐ 託児施設が不足している or/and 高い (一人目の子供に対し、1カ月あたり約70000円)

確かにどれも、日本に居る頃から、課題として感じ取っている・聞いていることが書かれているので、事実としては間違いではないと思う。

でも欧米の国々においても、マダマダ女性の活用や、家事と仕事の両立という点で、議論が絶えないように思うし、色々な試みをしたりといった域にまだ居るように感じるのだ。

例えばアメリカ。以前アメリカ系外資系企業に勤めていた際に社内で紹介されていて知ったのだが、女性支援や啓蒙を目指すアメリカのベンチャーが日々発信しているレポート・コラムのようなものがある。ここ4-5年メールマガジンを定期的に読んでいるが、家事と仕事(キャリア)の両立に関するトピックが後を絶たない。

また最近知ったウォールストリートジャーナルの記事では、自分のかつての勤務していた会社の競合他社的存在だったマッキンゼー社において、最近女性、それも出産・育児をするために退職した女性を呼び戻す取り組みをしていることを知る。 有能だし、既に自社のカルチャーや仕事のやり方を熟知しているので、会社としては貴重な戦力と再評価するのはうなずける。そして呼び戻す際に、パートタイムという形もオプションとして用意しているようなので、戻っていきやすい。(勿論、一度離れたことにより、そう簡単にいかない部分もあり、この記事でも指摘されているが) このように、実際アメリカに今いる訳ではないので、外から見た目ではなるが、アメリカにおいてもマダマダこの課題は、つきない話題なのかなとも感じた。

そして一方で、北欧に加え、比較的女性の社会進出や待遇など、比較的良いイメージのあるオランダ(自分だけ?)。 実際に住んでみて、周りの女性たちを見ていると、やはりこれまた悩み深いトピックのように感じる。 フレキシブルな働き方が認められているとは言われているが、実際フレキシブルワークをやってみての結果やこの不況によりその形態も少しきしみを見せている話しも耳に。(いつかこれ関連で今読んでいるオランダの記事は紹介予定) 

さらに託児所の値段。例えば自分が住む辺りの相場でいうと、幼稚園・小学校に通う子供を、学校後に見てもらうという施設で、1カ月600€以上と聞く。テレビで以前、地域によりこの値段が違うとの噂を検証するため、色々な地域の役所や託児所に調査をかけているのを見たが、我が村の地域の値段よりもっと高いところもあったように記憶している。 このため、下手をすると、子供が複数いて、パートタイムで事務職などで働いている場合、税金をひかれると、ほとんど、託児所に預けるために働いているような状態になってしまうとか。 

このため、オランダ人の友人や知人のなかには、旦那さん&奥さんがそれぞれ週1度在宅勤務し、それ以外の日に双方の両親が面倒を見にくるといった形態でやりくりをしている人もぽつりぽつりといたり。 また面倒を見てくれる人がどうしても近くにいない場合には、結局奥さんが仕事をストップしたり。 そこで疑問。仕事を一度ストップして、暫く子育てをした後に、すんなり会社に戻れるの?と我がパートナーに聞いてみると、一言「オランダでだって、難しいよ」と。

そんな訳で、長々と書いてしまったが、どの国でも働くお母さんに関しては、悩み深き課題が多々残されているよう。 また少しそれるが、日本に限らず、これまでインターナショナルに動くパートナーを持つ女性が、相手の転勤に伴って動く場合、なかなか仕事が見つからず、キャリアをとぎらせる例もちらりちらりと見かけている。 どの国にいても通用する力をつけるというソリューションもあるが、これは結構難しい点も多々。 

ということで、折角の人材が、色々な理由や環境により、方々で活かしきれていないのは、少し残念に感じる。何かこのあたりで、もっとできることはないのかな(自分にも言い聞かせ)

Friday 29 March 2013

改めての感謝。

昨日久々に、大学への浪人時代からの長い付き合いのお友達とスカイプ。

これまでの付き合いの積み重ねからくる信頼、またそれを通じて自分の強いところ(少し)も弱いところ(多々!)も知ってくれているという安心感もあり、色々と話しこんでしまい、ついつい長電話。

個人的なことなので、詳しいことはここでは書かないが、自分のことをよく知った上で掛けてくれた言葉の数々は重みがあり、ここ最近の落ち込みや悩みから自分を解き放つエネルギーと安定感を吹き込んでもらえたように感じる。 

日本にいる時は仕事にかまけて、なかなかお友達との時間を割けずにいた自分、また世界が仕事だけで周っていたかの自分を、本当に反省。。 

思うように進まないことが多いオランダ生活だけれど、こうした関係性の友人の存在に、改めて強い感謝の気持ちを感じたり、今後の生き方を考え直したり、これまでとは全く違った側面の世界や人をしることができたり、本気でパートナーと向き合うということを知ったり、この1年はある意味で実の多い1年だったのかもしれない。でもこの1年を活かすも殺すも、これからの自分次第・・・かな。

ともあれ、こんな自分に懲りずに付き合い続けてもらえる友人に、感謝です。

Thursday 28 March 2013

オランダ滞在許可証延長プロセス中・・・・やっぱり。

先月下旬に申請した、滞在許可(パートナー)延長。(当時の詳細はこちら) 

昨年2月に1回目の滞在証を申請した時には、「あなたの申請を受け取りました」といった受領確認レターのようなものが1週間程度で届いたり、追加で提出すべき書類に関しての文書が1カ月内に届いたりと、「あ、プロセスが進んでいるな」ということを感じることができた。

ただ今回、初めての滞在許可証の申請の時にとても丁寧&親切だった窓口担当の人とは違って、あたった窓口担当が今いち不親切&やる気のない感じな人だったからか、何か曖昧ですっきりしない進み具合になりそうな予感があった。例えば最初の申請の時には、申請時に審査料を支払ったので、我がパートナーが「今日支払うのか?」と聞くと、笑顔もなく面倒くさそうに「そのうち請求書が届くから、それを見て払い込みして」と言い放たれたり。

そして約1カ月が過ぎ、何の音沙汰もなし。さすがに呑気な我がパートナーでさえ、「プロセス進んでいるのかなぁ。何で音沙汰ないんだろう?」と気にしていた。そして今日1通の手紙が着荷。封筒も薄っぺらく、差出組織は移民局ではなく、その関連政府組織。それを見て、「きっと、審査結果かも!」と喜びかけた我がパートナー。どきどきしながら開けると・・・・

「2月にあなたの延長申請を受け取りました。この申請の審査をするにあたり、225€の支払いをしてください。支払いがあり次第、審査を開始します。これが意味するところは、早く支払えば支払うほど、審査が早く開始されるということです(後 省略)」

・・・・しばし絶句。申請書を出して1カ月以上たっているにも関わらず、審査は全く進んでいなかった。そしてその審査プロセスをキックオフするボールが、申請者側に投げかえされただけ。。さらに上から目線で、支払い早くしないと何も進まないよ、とは。。。

延長申請が却下される理由は多分少ないとは思うものの、この不明瞭なプロセス、スピード感では、一体いつになったら結果が来ることになるのだろうか。。ちょっと先行きが不安に。

Wednesday 27 March 2013

オランダベースのリクルーティングエージェンシのWorkshop。

最近、決定的な有効な手段は相変わらずないのだが、オランダでの仕事探しのため少しずつ活動を再開。1つは、比較的最近このブログにポストしたが、日本ベースのリクルーターで、海外駐在案件を持っている可能性のある方へのコンタクト。稀な案件なはずなので、ここは少し様子見。

そして昨日。オランダ人以外で、英語プラスもう1つ他言語を話す外国人を専門とするリクルーティングエージェンシーのワークショップに参加。この会社は、前職のアメリカの会社のオランダオフィスで働いている、欧州系の友人が、彼がオランダでの仕事探しの際に非常に協力的だということで、昨夏2社ほど紹介してくれたうちの1社。ちなみに両社ともに、よくよく彼らがWeb上で一部公開している求人案件を見ると、ほとんどが、英語+欧州の別の言語ができること or 経験があることが要件に入っていることが多く、Non-Europeanの自分をどこまで本気でサポートしてくれるのか少し半信半疑でコンタクト。

その勘所はあたり。すぐに自分のCVを送りコンタクトをしたものの、1社は返事なし。そして一応返信があったのが今回Workshopをやっていたこの会社。ただ、「あなたの経歴上、Executive Searchとして扱わせていただきます。万一紹介できる案件がある時にはコンタクトをしますので、お待ちください」というのが第一声。今分かったのだが、この会社の"Executive"の定義は、職歴10年以上ほどで、マネジャー経験のある人のようで、確かに彼らの判断はうなずける。ただこのターゲティングにより、更に案件が限れていたのも事実。結局半年以上、何の音沙汰もなし。

そのようななか、久しぶりにこの会社のことを思い出し、彼らのウェブサイトを見てみると、無料のCV/Interview Workshopなるものを開催することを発見。内容は、オランダでの就職活動に有効なCVの書き方と、インタビューTipsの紹介、そして実際のリクルーターが 1on1で CVをレビューしてくれるとのこと。 自分が常に使っていたCVは、多少焼き直しはしているとはいえ、英国MBAのプログラム中に、プログラムマネジャーに見てもらったものなので、そこまでCVの書き方に問題があるとは思っていなかったのだけれど(但しこれが間違いだったことはWorkshop後判明!)、何よりリクルーターに接触できるチャンス!自分がアプローチしている仕事探しの方法や、会社&ポジションに関してもアドバイスを貰えるかもということで、参加することに。

会場に出向くと、多国籍な顔ぶれ。でも欧米系の国籍の人が殆ど。話しを聞いていると、みな結構仕事探しに苦戦中。2年前後オランダに住んでいる人達も結構いたが、仕事が見つからないと嘆いている。そして肝心のWorkshopのコンテンツだが、基本的なことを抑えるに留まったので、ただふむふむとうなずく部分が多々だったのだが、でも1つの大きなLearningは、「オランダの就職活動時には、英語で就職活動するとはいえど、オランダの文化・様式に従うこと」 最初は大したことでないと思ったのだけれど、よくよく聞くと、これが自分の就職活動を更に難しくしている1つの要因だったと感じる。

例えば、CVのサンプルや、インタビューで良く聞かれる質問例など、ウェブ上で英語でサーチすれば、沢山の結果が返ってくる。そしてついついそれらを参考にしがちだが、それらはアメリカやイギリスで通用するものであり、オランダではNGな場合もあると。そして実際自分が今まで使ってきたCVを見てもらったところ、一言「これだと拾ってもらえる可能性はほとんどない」と。

自分が「これはイギリスでOKと言われていたよ」というと、リクルーター(この会社での10年以上の経験あり)から「Make Sense。イギリスは比較的、描写調に書かれたものが好きだからね」と。。 頑張って、長くだらだら書かないように、2ページ程度でとどまるようにとしていたのだが、それでもオランダ的視点から見ると、全く読む気にならないとのこと。とにかくシンプルに、端的に、箇条書きをうまく使って、書き直すようにと。

またもう1つ大きな指摘は、「どの国で経験したことか」を分かりやすくすること。ただ欧州以外での経験は、ぱっと見てすぐにNGボックスに行くことが多いので、時系列でなくてもいいので、欧州での経験(勉強&仕事)がある場合には、それを1ページ目に持ってきて強調べきとのこと、更に、欧州以外の海外経験なのであれば、「Global」を強調するようにうまく書くべしと。。ここで書き方もそうなのだが、これを聞いていても、自分でも分析できてはいたが、欧州経験の有無が大事なことを痛感。

かなりつっこんだ細かい修正ポイントを教えてくれただけでなく、参加時に聞きたかったことも何とか質問。自分の専門性上、オランダ語が未だ発展途上で、欧州経験もほぼなく(特に仕事は)、日本で積み上げたキャリアと同等のレベルで仕事をするのは、このリクルーターも一言難しいと。やはり、大体が各社1番に要求してくることは、「オランダでのPracticeを知っている人を紹介してくれ」と。 よって、東京での最終キャリアレベルから、かなり下げて就職活動した方が、多少案件が出てくる可能性があるかもとのことだった。

ただ勿論、全くゼロではないのも事実。「そういえば、『へぇ、そんな人材が必要なんだ、聞いたこともない』と思っていたのだけれど、自分の同僚が、中国(か日本)のバックグラウンドで、あなたの専門分野でのマネジャーポジションに合う人を探していた」と。既に埋まっているかもしれないし、求めていたのが中国かもしれないけれど、一応確認してみるねと。でも彼女の、「そんなスペック求めるんだ」と思ったという時の表情、本当に怪訝そうな顔で、かつ「妙な案件もあるものなのよね」が物語っている通り、非常に稀なのも事実だろう。

とはいえ、誰もが難しい案件が出てきた時に言う、「Who knows! May happen!」とのことで、CVをオランダ式に修正し、彼らのDBに再登録してもらうことに。勿論、この会社が言っていることが全て正しい訳ではないが、こうしてやっとリクルーターに1on1で話ができたこと、有効だったように思う。とりあえず、少し軌道修正できそうかな。

Monday 25 March 2013

オランダのお茶菓子。

オランダに住まれている方にとっては、さして真新しいことでも何でもなく、面白みがないことではあるが、日本に住む家族・友人に向けて、少しオランダ的なことを書いてみようかなと思う。

以前のブログで触れているかもしれないのだが、オランダ(中南部では少なくとも)では、日に少なくとも3度コーヒー・お茶タイムがある。一度は午前中、二回目は3時前後、そして最後は夕食後の8時頃。家族だけの場合もあれば、友人・知人がこの時間帯のあたりに訪ねてきて、一緒に飲むことも。だからか、このあたりのオランダ人から、「うちに遊びにいらっしゃい」というお誘いを受ける時には、「コーヒーを飲みにいらっしゃい」という言葉で表現されることが多い。

そしてコーヒー・紅茶が出る時には必ずお菓子が添えられる。レストラン・カフェであれば、小さなクッキーやチョコレートなどが一緒に出てくる。また誰かのおうちを訪ねた時にもしかり。但し1杯につき1つ!これがオランダらしさ。 

このため、大体各家庭ではお茶菓子(コーヒーだけど)が常備されている。我がパートナー母は、毎週のお買いもののときに、2-3種類彼女としては定番のお菓子を買い、専用の缶に入れたりしてストックしている。そしてお客様(特に友達の場合)は、そのお菓子専用の缶を直接持ってきて、差出、「どうぞ」と配ったり。


そんな訳からか、スーパーマーケットでは(少なくともうちの近所では!)、ポテトチップスやドロップ、ガムといったお菓子類コーナーとは別に、コーヒー・紅茶売り場の横に、お茶菓子専用ラックがある。それも本当に多種多様!

普通よく日本にもあるクッキー類は勿論のこと、少しどっしり目のお菓子も。例えば、アップルジャムが間に入った小さめなタルトっぽいものや、アーモンドやココナツ風味の小さめタルトのようなもの。

また小さなカップケーキっぽいものの上に、白やピンクなどの砂糖ベースのコーティングをしたようなもの。さらにこのイースター用として、黄色や緑色を使った飾りがついたものまで!


少し甘め(とはいえアメリカのお菓子の甘さ程ではない)なので、沢山食べることはできないが、濃い目のコーヒーといただくと、結構美味しい。ということで、我が家でも、突然のお客様対応用に少し常備中。 :)






Sunday 24 March 2013

牧場へお客様をお迎え。

牧場で沢山の新しい羊の赤ちゃんが生まれている中、以前から「赤ちゃんが生まれた時に遊びに来てください~!」とお話していた友人・知人の皆さんを、この週末我が家・牧場にご招待。

春とはいえ、異常な「冷春」。日差しが出ないだけでなく、この週末は物凄い冷たい強い風が吹き荒れる。気温は零下-2程度であっても、体感温度がマイナス10度とか。折角ご招待したにも関わらず、手足もかじかみ気味になるこの天候、ご足労いただいたのに申し訳ないな、、、なんて気にかけながらも、自然には逆らえない。

土曜日は英国MBAのクラスメートで、現在オランダで働いているインド人の友人&奥様&男の子。同じ国内にいる割には、あまり頻繁に会えないものの、自分のことを本当によく理解してくれていて、自分がどの状況にあろうと、いつも変わらず接し、沢山の元気&エネルギーをもらえる。インドでの結婚式に行ったことがきっかけで、奥様とも知り合い、また彼が常日頃、彼の奥様と自分が性格的に共通するところがあるといっていた通り、知り合ってからの回数は多くない(とはいえ日本にいる時から1年に2回位!)とはいえ、彼女も自分が心を開いて大概のことは話せる大事なお友達に。

まずは最近彼が断続的にプロモーションし、30代前半にてドイツ大手銀行の子会社のボードメンバー入りしたお祝いをするため、いつものお気に入りビストロにてお祝いランチ。自宅に戻り、コーヒータイム。この間、会えなかったここ半年ほどのことや、これからのことなど、沢山のキャッチアップで話しが尽きない。そして最後は牧場へ。

今回、彼らの可愛い3歳の男の子にとっては、初めての直に動物に触れあう経験に。中でも自分が赤ちゃん羊にミルクをあげる様子を見せてあげたところ、じっと暫く様子を見た後、自分に近づいてきて、自分が赤ちゃんの口に入れている哺乳瓶を一緒に持って、ミルクをあげたり。更にエキサイトしていたのは、農場で使うトラックの運転席に乗った時のこと!いつもお父さんの運転を見ているからか、運転席に乗るなり、横にあるレバー(クラッチ類)をすぐに動かし、すっかりご機嫌。などなど、あっという間に楽しい時間は過ぎ、お別れの時間。 今度こそは近いうちにまた会えることを誓って!

そして日曜日には、自分の親戚を通して、昨年日本からオランダに駐在でいらっしゃっているご夫妻をお出迎え。我が家でのお茶タイムから牧場まで、これまたとてもリラックスした、楽しい時間を過ごさせていただく。 動物が好きとおっしゃって下さり、実際に羊の様子を見て感じられてたことを伺うと、自分にはない面白い視点に触れ、最近慣れ気味になっていた羊たちを、見直す良いきっかけにもなったり。

でもこうして、自分の社会的立場や置かれている状況に関わりなく、更には同じ国内とはいえ少し遠い場所にお互い住んでいても、忙しいなか時間を割いて、会っていただけること、また共有した時間を通じて、自分がリラックスし、元気になれることに、本当に感謝の気持ちで一杯。東京にいた頃には、忙しさにかまけて自分がおこたりがちになっていた、仕事を抜きにした友人たちとのプライベートな時間を共有する大切さを改めて感じる。東京に戻る時には、どれだけの友人と再会できるか分からないけれど、会ってもらえる友人たちとの時間はかけがえのないことであり、大事に過ごしたいなと思う。

・・・と、すっかり英語&日本語漬けの毎日、2-3日以上怠ると、目に見えてオランダ語が後退中。。ネジを巻きなおして頑張らなくちゃ!

Saturday 23 March 2013

オランダのデパート&Sephora のセール。

12月末のクリスマスセールに続き、そのまま2月中旬頃まで何だかだとセール時期が続き、最後は日本で言う「店内一掃バーゲンセール」みたいなものをやっているお店が多々。背がそんなに高い方ではないので、サイズ外れ(XS or XL)でたたき売られているものをするりと掴んで、比較的お得感があったこの冬。

オランダ生活1年目を終えたものの、最初のうちはそこまで買い物のため街に繰り出すこともなく、特に夏前までのオランダのバーゲンセールの時期を正しく把握していないので、もう暫くセールはないんだろうなと思っていたら・・・・ どうやらイースターとひっかけてか、街でまたよく「セールの」文字が。特に今回はデパート・ストア系やチェーン系のお店で良く見る。

自分の知る限り、オランダは日本ほど、高級路線の総合デパートは少ない。でもお手頃感な路線のデパート的なお店はあり、比較的大きな街には大抵支店があったり、大き目な「村」に小型版の支店があったりする。自分が大きめな街にでかけるとついついぷらぷらは行ってしまうのは・・・

De Bijenkorf (高級路線デパート)
所謂ブランド品(化粧品、洋服、靴、アクセサリー類など)や、洗礼されたデザインのインテリアなど。がっちりとラインナップを揃えているのは、アムステルダム、ロッテルダム、デンハーグのみ。少し品揃えが限定した中型サイズのお店は、アムステルフェーン、アーネム、ユトレヒト、エインドーフン、マストレヒト、など。更に小さめなのが、ブレダ、デンボッシュ、フローニンゲン。

V&D (中級?路線デパート的)
多少のブランド品もあるが、比較的お手頃価格メーカー(欧州系が多い?)がお店を出している。これまた化粧品、洋服、靴、アクセサリー類、インテリア用品、そしておしゃれ目なパン&スイーツや、カフェなど。日本でも(多分)展開しているところでは、ベネトン、マンゴー、モンスーン、アクセサライズなど。それからRitualsというオランダで良く見る自然派Home & Cosmeticブランドの直販や、グローバル展開しているSephora(フランス系?)など。 少なくともIntercityが停まるほどの駅だと、大体見かける。 ただ、支店によって、品揃えや雰囲気が微妙に違う気がする。(雑然として見栄えや雰囲気が悪く感じるところもあれば、こぎれいで活気が合って雰囲気がよいところも。。)

HEMA (お手頃路線ストア)
チープ可愛い(勝手に命名)商品が多いストア。これまた洋服、アクセサリー、インテリア小物、文房具、そして食品など、多くのプライベート商品を揃えている(殆ど?)  カフェもある。色がポップだったり、価格がかなり安め


そして最近、いつものように、街に繰り出してふらりと入ったV&Dで、店に出店しているブランドや店舗が大々的にセールをやっているのを発見。多くは20-50%近く割引。そして、その中でも、何やら沢山の幅広い年齢層の女性たちが熱心にたかっていた(?!)、Sephoraでついつい化粧品のまとめ買い。

ご存知の方も多いかとは思うのだけれど、Sephoraでは、ブランド化粧品から、お手頃価格路線のメーカー化粧品まで展開し、さらに自社ブランドも出している。アメリカでも多く出店していて、自分のアジア系の友人たち(特にシンガポール人?)は、アメリカに行く際は絶対に顔を出すし、彼女たちの友人たちから必ず「買ってきてリスト」を渡されるとか。確かに、アジアの市場で買うメーカー品が、少なくともアメリカでは大分お手頃。例えば、O・P・Iのマニキュア、日本では売る覚えだが2000円前後したかと思うのだが、アメリカではこれまた売る覚えで9ドル前後。円高時に出張でNYに行った時にセールをしていて、自分もついついまとめ買いしてしまった。

そして今回。オランダではよくある、2つ買うと2つ目は○%オフとか、2つで○€などの手のセールがあるのだが、まさに今このセールの真っ最中。店内で2つ商品を買うと、2つ目は50%オフ。さらにSepora製品については、ファンデーション類は7.5€、それ以外は5€。ものによっては、オリジナル価格が14-15€ほどのものもあり、非常にお買い得感がある。

ということで、求職中であまり無駄遣いはできないのだが、日本から持ってきた化粧品ストックが不足していたあたりを、先日ついついまとめ買い :)  あまりないかもだけれど、日本で、Sepora製品欲しい方がいらっしゃったら、代わりに購入しますよ~!(なんちゃって)


Friday 22 March 2013

春は何処へ・・・。

一瞬暖かい日が来たかと思いきや、零下前後の気温となる日々が続く今年のオランダの春。

会うオランダ人オランダ人、みな口をそろえて、「こんなにひどい春は殆ど経験がない」やら、「ニュースによると、40-50年振りの春の寒さのようよ~」などなど、この春の天候のことで持ち切り。

確かに、周りでもあまり「春!」を感じられない。例えば、昨年12月に我が庭に植えた花の球根、ほとんどが一向に目を出さない。一部鉢植えに植えたチューリップが徐々に芽が出て伸びてきたり、前の住人が植えたままにしていた球根が伸び始めたりはしているものの、何とも寂しい。庭の球根は、あまりの寒さが続いて、土の下でだめになっちゃったのかしら・・・などと話をしていたものの、どうやら昨日会った友人によると、「この寒さのために、花の開花が2週間遅れているらしい」とのこと。 その話を元に、気を取り直して(?!)、注意深く球根を植えた一帯を見てみると、確かにものすごく小さく芽を出し始めている部分も多少ある。

そしてこの寒さの余波は、どうやら有名なキューケンホルフ公園まで。3月の下旬~5月上旬までと限定公開される花の公園。多種多様なチューリップや、ヒヤシンス、その他の花と、見事に公園のなか一帯が花で埋め尽くされる。そのオープンが今週だったのだが、今日近所で耳にした噂。「キューケンホルフの花の芽が未だ出始めたばかりで、未だ咲いていないらしい」

早速家でニュース検索してみると、オープンした公園の様子を写す映像を発見。確かに、一部咲いている・咲きかけている花もあるものの、まだ蕾の状態のものや、蕾もまだ出ずにいるものが写しだされている。

どうやら未だ来週も最低気温は零下、最高気温も5度前後と寒いまま。未だ方々で咲き誇る花を見られるのも、暫くお預けの様子?ちょっと残念。

Thursday 21 March 2013

羊の赤ちゃんの成長。

ここ1カ月近くのうちに、次々に生まれてきた赤ちゃん羊たち。

生まれてすぐに立ちあがり、歩き始め、その日のうちに母羊のお乳から自分でミルクを飲むなど、一刻一刻と成長していく。ここ最近は、走り回るのみならず、嬉しそうに飛びはねてみたり、他の赤ちゃん羊とじゃれあったり、草の上に寄り登ってみたり、母羊の食べる草を一緒に食べてみたり。

写真ではどうしても表現しきれないこの可愛さ(肩入れしすぎ・・・)、少し手持ちのiTouchでビデオにとってみる。性能がそこまで優れない録画機能のと、自分が本当に撮りたいタイミングに撮りきれていないので、他の方が見てどうかというのはあるものの・・・ 春を感じさせる動きをお裾分け :)






Wednesday 20 March 2013

オランダ テロ脅威度引き上げ。

ここ最近、世界の色々な場所で衝突・テロ類のニュースが毎日尽きない。勿論、治安が比較的良いとされるところであっても、事故などもあるし、完全に安全な場所はないとは思うが、「危険」とされる地に行かなければ、「テロ」とは無縁かと思っていたが。

どうもどうやら徐々に身近なことになっているように感じる。例えば、イギリス留学時のシリアのクラスメイトたちの動き。特にイギリスの国の奨学金をもらったり、シリアの大統領府で働いていた友人は、子供を連れて、ベルギーに難民として移った様子。そしてもう一人は、奥さんだけまずは同じくベルギーに難民として移ったらしい。最近Facebook上に出していた本名も、分かる人には分かるが、本名を隠して始めている。

そしてさらに、ここ最近日本大使館さんからのメールにて、オランダ政府が、テロ警戒のレベルを、「限定的」から「相当」へと引き上げたとのニュースを知る。(4段階評価のうち、上から2番目) 大きな理由は、イスラム系の移民の一部が、アフリカのマリなどの戦争に加勢しに出向いているようで、ここでイスラム過激派から洗脳されてオランダに戻り、テロを起こす可能性があると踏んでのことのよう。とはいえ、TVのニュースを見ている限りは、こうした移民の動きについて聞いたことがなく、へぇという程度だった。

そのような中、今日とうとうて、マリに出向いたモロッコ系オランダ国籍の人が、現地で加勢中に亡くなったというニュースを耳にし、少し緊張感を感じる。何年か前にロンドンで、過激派に染まってしまった移民によるテロもあったし、今回のオランダ政府の警告は決してありえない話ではない。

でも一方で、モロッコ、トルコ系の移民に関して、ひとくくりにして問題視したり、差別的な物言いをするのを聞くと、これまた少し疑問を感じる。そして思い出すのが、このテロがあった前後でイギリスに留学していたため、インド・パキスタン系のクラスメイトたちが、キャンパス外の大都市に出かけた時にうけた差別的扱いの話し。電車やバスに乗っていると、じろじろと見た挙句、できる限り遠い席に行こうとする人達。また身体を傷つけることを禁止されているイスラム教徒でないことを示すために、敢えて片方の耳だけにピアスをしたり。当時、自分が仲が良い仲間が、街の中に飛び出すと、見た目から判断された差別を受ける話しに心が痛い思いをした。

確かに問題を起こしている集団もいるのは事実である。グループで固まってしまいオランダの言葉や文化を学ばず孤立する、働かずに犯罪に走りやすいなどの様々な問題点があるようだから、彼ら側にも問題はあるかもしれない。ただ、こうした移民の中にも、非常にスマートで、勤勉で、謙虚な人達も、少数かもしれないがいるのも事実。少なくとも自分が通った大学の語学コースで後者の勤勉な移民の人達のイメージの方が強い自分にとっては、複雑な想い。

それに、もともとの発端は、第二次大戦後に国が急速に発展し、労働力不足になったときに、モロッコ・トルコを中心とした国から必要な労働力として連れてきて、比較的簡単に、本人および芋づる式にやってきた家族含めて、移住許可や国籍をあげてしまったことから始まっていると聞く。第三者である自分から見ると、何となくどっちもどっちという感じがしないでもない。

と・・・かなりとりとめなくなってしまったが、遠い国で起こっていたテロ活動は身近に迫ってきているかもしれないということ、また一方で過激派に走っているグループと同じ属性と見られる人達への差別がさらに増し始めていること。でも、できる限り、特に1on1で相対する時には、その人個人として接することができる自分でいたいなと思う。

Tuesday 19 March 2013

議論疲れ。

ここずっと議論が続いてきたことがあるが、お互いある種妥協点が分かり始めているものの、お互い心の奥底でどこか譲れないものがあるようで、議論になれど、結局何の進展もなし。

アクションにつなげるといいつつ、色々な理由がついて先延ばし。理由が簡単に見つかるのは、マイペースなこともあるが、とろうとしているNext Stepが翻意でないところがあるのも事実。

やはり文化・考え方の違いのハンドルの難しさ、また社会的に守られない状況・ある一定の条件を元に”居候”しているような状態で生きて行くことの難しさを痛感する。

気持ちがあるとはいえども、こうした根本の部分で折り合いがつかないというのは本当に難しい。でもそこがなかなか分かってもらえない。

さて。いつまで議論が続くのか。ずっと気になっていて、最近日本から取り寄せた本「置かれた場所で咲きなさい」を読み、頭では言われていることは理解できるのだけれど、こうした状況が続くと心に響かない、弱い自分。何かしらのアクションが取られる前に、ちょっと気持ちが折れちゃうかもしれない。。ちょっと弱音。

Monday 18 March 2013

オランダ語、進歩しているような、してないような?(とりとめない話)

この週末、立て続けにオランダ人の友人・知人たちとの交流があり、少しオランダ語漬け。

まずは土曜日夜。我がパートナーのBasis School(小学校のようなもの)の友人&パートナーの誕生日会。自分たちが東京在住中に、日本に旅行で訪ねてきてくれてから、その後も機会があるごとに訪ねあうようになり、気兼ねせずに会える貴重な友人たち。彼&彼女の誕生日がほぼ連続しているので、いつも合同誕生日会をしているようで、昨年移住してきて以来二度目のお呼ばれ。

こうした親しい間柄の人達を招待したホームパーティーは、毎回大体そんなに顔ぶれが変わるものではないので、2回目ともなると、知った顔も増えてきて、居心地がよくなってくる。前回はオランダ語を習い始めて1カ月未満、デルフトTUの初級者集中コースまっただ中で、最初は思い切りガチガチだったのだが、1杯の赤ワインにより気分を良くし、優しい面々からの暖かい励ましにより、できないなりに単語を単発で発するような状態。

そして今回は、マダマダ課題は沢山あり、語彙量も未だ限定的で、致命的な発音の悪さという難点はあるものの、多少はセンテンスで話をできるようになった状態。それもあってか、オランダ人(特に南部系)特有のポジティブシンキング(!?)から発せられる、「Komt Goed」(”うまくいっているじゃない!”的なニュアンス?)という一応褒め言葉らしき言葉を、色々な人達から掛けてもらう。そして、こちらが出だしで比較的すっと言葉がでると、もう何でも分かるのではと誤解されたかのように、オランダ語の嵐!これにはさすがにマダマダついていけないことも多々。。折角親切に色々と話をしてくれたり、教えてくれたりしている時に、分かる時もありつつ、分からないなりにキーワードを元に想像つくときもあるが、時には頭のなかは「???」 

こうなると、まずは落ち込みモード。はぁ、どうしてなかなかできるようにならないんだろうと遠い目に。でも有難いことに(!?)、お酒が程良く入ってくると、分からないところがありつつも、分かる範囲で、何とか逆襲しようというモードへ。発音悪くとも自虐的に開き直り、とりあえず自信を持って少しゆっくり目であろうと口を開き続けていると、なかなか理解してもらえずきょとんとしている人もいるが、案外理解してくれる人も出てくる。

そして明けて翌日。同じ村に住む、我がパートナーの同僚ご夫婦をお出迎え。最初のうちは4人で和気あいあいと話しをしていたのだが、我がパートナーが所用で少しの間席をはずす。まずい!何か話しをしなくては・・・・と、思いつくまま、とにかく話をつなぐ。この日もまたとにかく一部発音や語彙に限界があることは分かりつつも、躊躇せず、できる範囲でしっかりと口を開けてみる。すると自分のオランダ語、英語ができる旦那様は少し分かりづらそうに聞いているのだが、英語が苦手な奥様はすぐに理解してくれ、会話の応酬が続く! 

と、完璧でないにせよ、自分の口と耳で直接コミュニケーションできると本当に楽しいし、嬉しくなる。ここ最近、風邪でダウンしていたことをいいことに(かなり)後退気味な勉強モードから、少し馬力を入れ直すかな~ :)

Sunday 17 March 2013

もう1つの、日本に関するドキュメンタリー。

「3.11.」に関連し、1度ブログのこの記事でも取り上げたのだが、3月11日当日に放映された、3.11.後の福島浪江町の方の現状と心情に迫ったドキュメンタリーに続き、Holland Docというシリーズで、3月13日にももう1本ドキュメンタリーが放映された。

タイトルは「Children of the Japan Tsunami」。(リンク先のページで、オランダ国内であればいつでも閲覧可能) 前回のドキュメンタリーが、原発事故関連であることを示すタイトルだったのだが、このタイトルを見た時には、津波被害を受けた子供たちに関するドキュメンタリーかなと思った。ただ実際見てみたところ、もう少し幅広く、深く人の心のひだに入り込んだ内容。(ちなみに、オランダ語での放映だが、原作はBBCが作成しているのかも?)

津波により、学校のクラスメイトたちの大半を亡くした小学生たちや、比較的助かった子供が多かったものの、今もなお、原発避難区域内のため、仮設住宅他に住み、自宅に戻れず、区域外の学校にバスで集団登校している小学生たちの話を追ったもの。また子供を亡くされたお母様も、これまでの経緯や心情を吐露している。

多少時が経っているからということもあるかもしれないが、驚くほど冷静に事実を描写したり分析し、正直な気持ちを語る子供たち。更に切なく感じたのは、原状回復がなかなか進まない状況や政府関連から公表される情報が限定されていることを、自分たちの心のなかで何とか整理をつけ、将来の夢を語る子供たち。自分が彼ら・彼女たちと同じ歳ごろの時に、これほどしっかりと自分の頭で困難なことを受け止め、考え、自分たちの言葉で想いを伝えることができただろうか。

一方でこうした現状から少しでも事態が良くなるよう、こうした地域以外に住み、ましてや福島原発から電気を得て恩恵を受けていた自分を含めたその他の人達が、一体どれだけのことをしてこられたのだろうか。小さなことでもできることをしていけたらと思いつつ、本当にこれまでしてきたことの少なさに申し訳なさを感じる。

1度見ただけでは消化しきれない事柄が多かったので、また近いうちにもう一度見ておきたいなと思う。

Saturday 16 March 2013

羊の赤ちゃん、量産中。

3月より始まった、羊の出産ブーム。

前のブログでも少し触れたのだが、今年は諸事情のより、母羊をグループ分けして、出産時期をコントロールし、できるだけ出産に関わる仕事を集約しようとしたのだが。やはり出産タイミングを厳格にスケジュールするのは難しく、特に第二グループの母羊たち、出産予定日になっても何故か赤ちゃんを産む気配がでず。

途中、「今晩こそは、産み出すのではないか」と期待を込めて、真夜中交代で、急に産気づく羊がいないか見回るものの、空振り。あまりに多数がOverduedateなため、「もしかして一遍に同時に産けづいちゃったりして」などと冗談を言ったり。

たださすがに、耐えきれなくなったのか(!?)、予定日超えの母羊たち、3-4日の期限を超えて、徐々に出産。今年は比較的、双子率が高く(双子が理想らしい)、また出産前後で亡くなる子供も非常に少ない。多少小さめに生まれて、生き残るか危ぶまれた赤ちゃんもいたが、我がパートナー家族が母羊の母乳を日に何度かに分けて哺乳瓶で飲ませるなど、手厚い産後ケアにより、今では元気一杯に歩き回る。約半数の母羊の出産を終えて、ここ2-3週間で50匹前後の羊の赤ちゃん所帯へ!



そして、この出産状況を聞きつけて、我がパートナーのボス・同僚さんたちからご近所さんまで、「今日時点で何匹生まれた?」といった質問から、「赤ちゃん見に行ってもいい~?」とのお問い合わせまで。みな新しい命の誕生に嬉しそう。

Friday 15 March 2013

・・・残念!テスト免除とはならず。

つい2週間ほど前に書いたネタの続編。

繰り返しになってしまうが、将来のオランダ永住権 or オランダ国籍取得をしたい場合、その条件として、3年半以内(この期限、初めての滞在ビザをもらったのが2013年1月1日前か後かで違うかも?DUOサイト説明)で所定の試験に合格することが義務付けられているオランダ。長年仕事をして、一定の収入がある人は違う条件があるとも聞いたことがあるので、一律ではないけれど、少なくとも現在、フルタイムで仕事をせず、日本国籍を持ち、オランダ国籍のパートナーがいる自分が課せられている条件。(DUOという組織のWebサイトでの説明

ただ、この試験の免除条件があるとかないとか見かけたことがあり、最後のひと悪あがき。既に国は市役所に対し、移民化関連の業務の責務はなくしているものの、昨年から多少混乱していた状況に巻き込まれたことを盾に(!?)、旧担当者に頼みこみ、自分の条件を最終確認してもらうことになった。そして、この担当者経由で、移民試験類を管轄するDUOという組織に、Delft TU(デルフト工科大学)のコース修了証=B1レベル以上のオランダ語力ありとの証明書を持って、自分が試験免除となるか、審議をしてもらうことになったというのが前回の要約。(長すぎ!)

そして約束の2週間の審査期間を経て、本日市役所担当者から、DUOの回答が、我がパートナーにForwardされてくる。最終アンサーはNG。実際の文面は見ていないのだが、彼がしてくれた説明を要約すると、「今回提出された文書は、ディプロマでも、サーティフィケートでもなく、また発行母体のDelft TUという組織は、我々の組織に登録されておらず、信用性に欠ける。このため、証明する文書として不適切であり、免除はありえない」とのこと。以上。 "Ongelooflijk!"

疑問その1。自分が通った語学コース、この組織の登録団体ではないとのことだが、そのようなチェック、2-3分でできるはず。。一体、2週間かけて何を審査したのかなということ。2週間と言われたので、このコースの妥当性(テキスト内容、レベル、授業など)や、場合によってはコース中のパフォーマンスを、学校に問い合わせしているのかと思い気や。。

疑問その2。「信用できない団体」と名指しされたのだが、Delft TU(デルフト工科大学)はオランダに12しかない最高高等教育機関(大学)の1つ。 ちょっと肩入れしすぎだけれど、国内外含めてしっかりとした名声があり、多くの優れた研究を輩出している。またオランダ語学習法として、1つの確立された「デルフトメソッド」の開発母体団体。DUOのWebサイト上で、各移民関連で有効な試験勉強の参考マテリアル・学習法にも挙げられている。それでもNG。。

世の中そんなに甘くないし、こういう結果もありかなとは思っていたものの、このお役所的理由での却下に何となくうんざり。あまりブログ上で不平不満を言うのは好きではないものの、今日だけはゴメンナサイ。

ということで、移民化テスト(語学&文化-社会関係のテスト)か、NT2と呼ばれるオランダ語国家試験を受験することに。 オフィシャルな語学認定レベル的には、移民化テストはA2、現在の自分のレベルはB1とされているので、レベルとしては超えているものの、色々なところで疑問視されている移民化テストの質とコストの高さ(特に再試になったら更にコストがつく。。)を聞いていると、どうしてもそこにお金を掛ける気にならず。レベル的にはどっこいどっこいな状態だけれど、NT2 Programme 1(専門職の人向け)の試験か、Delft TUの上級コースを終えてから、このコース修了時のレベルと合致する NT2 Programme 2(大学進学者向け)にチャレンジする方向に少し傾き中。いずれにしても、試験ストレス再来! ま、これもまたオランダ語を頑張る1つの原動力になるかもしれないので、前向きに、前向きに・・・(と言い聞かせてみる)

Thursday 14 March 2013

また雪!雪のWhite Day!

オランダ暦的には春になったはずだが、急に暖かくなり15度前後まで気温が上がるようになったかと思えば、今週は急に零下の寒い日が続く。オランダ南部やフランスなどでは、雪がかなり降り、大渋滞をした映像がTVで流れることさえ!

同じオランダ国内でも、状況が多少違い、中部に位置する我が村、一応その大雪には見舞われてこなかったのだが、昨晩少し雪が降り、3月14日の今日はホワイト”ホワイトデー”!

雪景色もそれなりに綺麗だけれど、さすがにこれで最後になって、植えた球根類が花咲く日が待ち遠しいな。


Tuesday 12 March 2013

「ソト」で暮らすこと。

3.11により、沢山の悲劇が起こり、社会が抱えていた多様な矛盾のほころびが生まれ、多くの人にとって人生や社会について考え直させられる機会が生まれたように感じる。そして、人がそれぞれが感じた内容や受け止め方、その後の行動は千差万別であるが、私たちはそれぞれをRespectすべきかなと個人的には思っている。

その数あるストーリーがある中で、今年の3.11.の中でひっかかりがあったもの、それがこのお話。中国からの留学生が記録したドキュメンタリーおよびそれにまつわるお話。何故今これがというと、自分が日本を離れ、移民の少ない小さな村で生活を始めたところであり、これまでも結論出ずともブログで時折想いを綴ってきており、こうした話しに感受性が高くなっているから、という事情もあるように思う。

心に響いた要素は幾つかある。まずこのドキュメンタリーを制作した留学生。日本という国に興味と意志あって留学していたものの、居住する地と、勉強・アルバイトする地を行き来するばかりの日々。ネットワークも限られる。そのなかで3.11が起こり、ご両親の願いもあり国に戻るが、心にひっかりを覚えて、日本に戻り、このドキュメンタリー制作に行き着く。この、何か1つのものへ強い興味を抱くこと、そして自分が興味を持ったものへ足を踏み出すという勇気、そして行動。更にはそこから更に学びとっていく内容と、最後に達成していったこと。この成長の様子を読み、妙に頭を殴られたような、目を覚まさせられたような気持になった。

そして勿論、彼女がドキュメンタリーを撮るにあたって出逢った、海外から日本の農漁村部にお嫁に来た女性たち。単身、言葉も文化も分からずに一人嫁いできてからこれまでの格闘の話、3.11をきっかけに力強く立ち上がり、更には周りを巻き込んでいく逞しさ。ここで取り上げられていることを抜きだすと・・・ 

"The reason we are able to send encouraging messages to our neighbors is that we have firsthand experience of leaving everything behind when we came to Japan."

"That is," she said, "why we can tell Japanese neighbors, 'hey, let's start from the scratch again.'" 

と。彼女たちは、自分が日本を後にしてオランダに来た時の比ではない、言葉で表せないほどの物凄い覚悟と意志を持って行動してきたことを痛切に感じる。そしてもしかしたらその覚悟以上の、すさまじい格闘を続けた上での今なのではと。だからこそ、逆境を経験していない人間が誰かを励ますために言っても表面的にしか聞こえないかもしれないが、let's start from the scratch again"という言葉にはものすごく迫力を感じる。 

この記事を読んだ時の、自分の心が揺さぶられた気持ち、うまくまとまりつかず、文章にもしきれないのが歯がゆいが、今の自分への反省と、小さくとももう少し一歩を踏み出す強さを持てる自分になりたいとの気持ちがこみ上げてきた。言うは易しだけれど、ともあれこうした”出逢い”に感謝。

Monday 11 March 2013

2013.3.11. in NL

記憶のなかではなくなることは全くないが、この2年間が3.11でのことを含め、自分のなかで濃縮した時間だったからか、随分昔に起きたように感じていたが、今日で3.11.も2年目。

日本でも各地で、会社やグループ、また個人でと、3.11.を振りかえるイベントなど多々あったようだし、自分でもついつい日本時間2.46に間に合うように起きて、自分の心のなかで色々な想いを馳せたり、お祈りをしてみたり。でもあの時の体験、その後を通じて出くわしてきた様々なことは、未だ自分のなかで昇華しきれないものがある。だからこそ、あまり細かく「今時点」での自分の気持ちを書きたくないなと思い、公の場では、3.11.に関して少し発言を控えている。

それはさておき。ここオランダでは、ニュースでまずこの日のことが放映。2年前の津波や原発の映像、追悼式での天皇陛下の様子、総理大臣のYOUTUBE映像の紹介など。自分の国以外の出来事とはいえ、やはり世界に相当のインパクトを与えた出来事だったのだと改めて感じる。

そしてニュース以外にも。3.11.である当日に取り上げられたのが、福島県浪江町を舞台にしたドキュメンタリー番組。原発の背景、原発を頼りに発展してきた村のこと、そして事故が起きた後の様子、ここで生きてきた人達の気持ちの揺れ動きと想いなど、一人の女性を中心に描いたもの。日本人によって作成されたものを、オランダ語のサブタイトルをつけたり、オランダ語で語りを入れたものを挿入した形で放映。

これまで文字などで読んだこともあった程度のことが、こうして当事者の方の言葉でつづられているのを目の当たりにし、涙が止まらなくなった。東京であまり深く考えることなく使っていた電気を支える背景に、沢山の人達の思惑と人生と、諸々が錯綜していたという事実。この出来事が起こってもまだ「きらびやかな」都市、東京と浪江町との風景に比較。帰りたくても帰れない現実。普段は平静を装おうとされていても、時としてのぞく本当のキモチ。

ちなみに、海外から見ているので、自分が偏って見えていたのかもしれないが、日本での追悼関連での取り上げ方が、一部「地震・津波」被害に少し偏っていて、「原発」が少しタブーのように扱われているところも見かけ(気のせい?)、違和感を感じたのだが、ここ外国で当日取り上げられたのは「原発」被害。少し温度差を感じる。

ともあれ、現在このドキュメンタリー、少なくともオランダ国内において暫くWeb上での閲覧可能。(見逃したテレビをWeb上で見られるという仕組みがあるので) また今後も断続的に、3.11.関連のドキュメンタリーが続くようなので、できる限り見て行きたいなと思う。

Sunday 10 March 2013

日本 vs オランダの野球対戦!

小さな頃、父の影響もあり、熱狂的なプロ野球好きだった自分。その最盛期には、毎週野球雑誌を読み、野球ニュースを見、ついには12球団2軍選手まで覚えてしまうほど!それが今や、殆ど見ることもなく、知っている名前・顔と言えば、殆ど監督やコーチ。

それはさておき。そのような過去の知識しかないため、野球が強い or/and プロ野球チームがある国と言えば、アメリカ、キューバ、日本、韓国、台湾。まさか欧州の国、それもオランダが世界大会に出るほどとはつゆ知らず。日々のニュースを見ていると、オランダの快進撃の様子が放送されていることに驚く。そして雑談ついでに日本の方とお話をした時に、アメリカの大リーグに進出している選手や、日本で活躍している選手がいるとか?でもそれでも、サッカー・スケート・自転車競技以外にオランダ人が熱中して野球をする姿が何となくピンとこなかった。

そのような中、何とそのオランダと日本が対戦!さすがに野球の「や」の字も知らない我がパートナーも、少し盛り上がり。中継しているマイナーなケーブルテレビ局と思わしきところを見つけ、試合開始から観戦。ただ見ていると、何だかやっぱり未だ違和感がある。そう、選手の顔や体つきが違うのだ。はて・・・と思っていたところ、友人からの情報。「オランダのチームは、南米のオランダ領出身の選手が多いらしい」。はは、なるほど、やっと腑におちた!

オランダ領アンティラと呼ばれた(ている)、カリブ海にある小さな島々。かつてオランダの奴隷貿易の拠点として、活用されていた場所。Delft TUのオランダ語コースのテキストでも1つの章として取り上げられているのだが、オランダががその関係性をどうしていものかと悩み続けていると言われているらしい。常に色々な議論があるようで、教授でさえ「この日の授業をする前に、はたと、最新の状況って結局どうなっていたか分からなくなり、同僚と話をしたけど、誰も分からなかった」とか。。

1つとしては、経済的に自立するのが難しい状況にあること。そもそも面積も小さいし、人も少ない。また主にできる産業が少ないこと、そして国民性。半数ほどの子供たちが、学校と途中退学して、犯罪に走ってしまうという話しも。オランダ王国に属している(属し方もまた一律でなくてややこしい様子だが)ために、やはりおんぶにだっこ状態に近いところもあり、「オランダがから切り離せ!」という意見から、「かつて植民地としてきた以上、責任を持たなくてはいけない」という意見まで、多々あるらしい。

また経済上だけでなく、政治的にも1つ。小さな領土といえども、比較的近いところに反米国が幾つかあり、もし完全独立しようものならば、反米国側についてしまい、反米勢力を少しでも広げられては困るという思惑もあるらしい。

そんな訳で、授業の際にも、様々な国から集まる生徒でなるクラスのなかで、様々な質問が出たり、議論をしたのだが、結局すっきりした結論は出ず。ただ十分センシティブで、解決が一筋縄ではないことだけはよく分かった。

でも今回こうして野球のゲームを見ていると、しっかり「オランダ代表」(オランダ国籍を持っているから当然とはいえ当然だけれど)として、オランダを代表し戦っている。そしてニュースでは、その快進撃を称えている。あれだけ授業で、Advantageが何もないかのような方向性で議論がしぼんでいった地域、それでもこれだけの選手を輩出しているのであり、それが評価されていないようで、何だか少し複雑な気分になる。

ともあれ。暫くお互いの国の快進撃を楽しみに見守って行こうかな。

Saturday 9 March 2013

オランダ風邪によりノックダウン!

時折ニュースで、「何日か寝込む風邪がはやっている」と目にしながら、人ごとと思っていたのだが・・・オランダに来て初めて、風邪にて完全ノックダウン!

この水曜日の夕方、我がパートナーを駅まで迎えに行き、夕食を作ったあたりで、少し寒気と頭痛があり、牧場のサポートを少し休ませてもらった。うとうとと眠る間に、夜遅くに38度を超える熱へ。日本から持ってきていた風邪薬を飲み、この日はそのままひたすら眠る。

翌日そこまで苦しくなく、ブログを書いたり、時折本を読んだりしながら、横になり過ごすも、熱は下がらない。ただ徐々に、筋肉痛のような全身の痛み、激しい頭痛、のどの激しい痛みが進み、夜中に苦しさのあまり目を覚ます。熱を測ると、40度!日本でも暫くこんな熱出したことがなかった。

ここまで薬もきかず、むしろ悪化して、熱がどんどん上がるので、インフルエンザや何か特別なウィルスに犯されているのではと心配になるも、我がパートナーは平然と、「風邪でしょ?」と一言。冷たい・・・と涙するのを気づかれ、さすがに心配した我がパートナー、朝一でHuisarts(General Doctor)に電話をし、アポをとってもらうも、当日診断のためお昼過ぎまで待つ。

我がHuisartsは我が家から4軒先に住むご近所さん。でもこのご近所さん1軒1軒の敷地が大きく、しっかり歩いても5分以上かかる。更には高熱でフラフラと歩くため、この日は妙に遠く感じる。そして何とか無事(!?)辿り着き、名前が呼ばれるまで待つ。ちなみにHuisartsさんは、患者さんの名前を呼びながら、必ず待合室まで歩いて迎えにきてくださり、握手をして、いらっしゃいませとばかりに診療室のドアを開けて、中へと招き入れてくださる。このあたりの初動は他のHuisartsさんとも同じかとは思うが、この彼はいつもとびっきりの包み込むような純粋な笑顔、そしてものすごくよく話を聞いてくれる。診療の良さも含め、この村で一番の評判のHuisartsさん。

そして、自分が初めて来た昨年の夏に、英語で「英語で話してあげた方がいい?と聞かれた際に、「オランダに慣れるため、オランダ語で頑張って話す」と言ったことを覚えていたようで、ゆっくりとはっきりとオランダ語で話をしてくださる。そして頭が朦朧しているので、いつも以上にひどい自分のオランダ語もしっかりと耳を傾け、すぐに理解してくださる。自分の症状と心配していることを含めて伝えたところで、日本での内科検診と同じように、のどをチェックしたり、心臓や肺の動きをチェック。そして一言。「普通の風邪だから、心配ないよ」と。 なんと!!診察の最中にも、38度以上の熱を確認したときに「熱は大してないね」と言われたように、自分としては苦しくとも、オランダでは違う基準があるのかも。。

そして言われたことは、「今の時点では普通の風邪だし、心肺共に正常。ウィルスは7-10日程度でなくなると思う。この状況なので、今のところ『パラセタモウ』を飲めば、自然治癒できると思うから、特に処方箋は出さないでおくね。もしこれ以上何かがおかしくなったら、戻ってきてください」と。

何だかこのやり取り、聞いたことがあるぞ・・・そう、デルフトのオランダ語コースのテキストのなかで、医者や医療制度に関するトピックのところ。例えば、「娘が日に日に症状がひどくなっている。何か往診に来てもらうまでにできることがあるか?」というといかけに、「Geeft u haar een paracetamol. En ze moet in ieder geval drinken(娘さんにパラセタモを与えなさい。どのような場合でも飲んでいいですよ)」と医者が答えるやり取り。またもう1つの章では、「"Kijkt u het even aan, en komt u over een weekje maar terug" "Maar ik ben al zo lang verkouden! Ik wil een recept voor antibiotica!" Aandringen helpt niet. "De meeste ziektes gaan vanzelf over. En antibiotica moet je niet te vaak gebruiken!"」(「暫く様子を見て、何かあれば1週間後に戻ってきて」「でももう長い間風邪が続いているので、アンティビオティカの処方をしてほしい!」 お願いしてもダメ、「多くの病気は自然治癒していくもの。それにアンティビオティカはそんなにしょっちゅう使用してはいけないから」)と。

ははぁ・・・ということで、一応診察してもらった訳なので、おとなしく言われた通りに指定のオランダの大衆薬を飲むことに。本当は、日本の薬が利かなかったから、こんなに苦しい症状に利くのかしらと疑いつつ、パラセタモウと類似で家に常備してあったイブフェロンの薬を飲み、しばしベッドへ。すると、あれだけ高い熱が出ても、汗一つでなかったのに、ものすごい汗が出て、気づけば、頭痛・のどの痛み共、びっくりするほど緩和。でも気付けばこの4日間で4Kg減。最近ふっくら傾向があったので、良いダイエット? :)

ということで、郷に入り手は郷に従え、オランダ式に従うべきときは従うべしなのかなと感じる。ちなみに、どこで風邪をもらってきたのかと思いきや、前の週末にお邪魔した、知人の方のお誕生日会らしい。このお誕生日会の主賓(双子のご婦人たち!)と、一緒に参加した我がパートナー父の3名が少なくとも同じ症状でうんうんうなっているらしい!恐るべしウィルス。でもこれで免疫がついて、次からは強くはねのけられるといいな。ま、まずは今目の前の風邪を克服することに注力。

Friday 8 March 2013

スノードロップ・・・花が開いた!

ずっと滴のような形で咲いていたスノードロップ。これが咲いている状態なのかと思ったら、ここ最近暖かくなってきたことを受け、さらに花が開いている!

ちょっと可愛らしかったので、写真をパチリ。


Thursday 7 March 2013

オランダ移民化テスト可否に向けた審査。

これまでにも何度か触れてきているが、オランダ永住権 or 国籍取得のためには、移住後3年半以内に所定のテストに合格することが必須とされている。

一方で、Webサイトで時折、「所定のテストと同等のレベルのオランダ語力があると認定された場合には、免除される」といった話を見かけたり、実際に自分の移民化に関連の担当者から、「オランダ語コース修了の証明書があるなら、その証明書をすぐにでも送りなさい」と所定の封筒をちらつかされた経験があり、場合によっては免除される可能性もあるような様子。 オランダ語のレベル的には、この移民化テストのレベルとされるものを既に上回っているようなので、ごちゃごちゃ考えずに受けてしまうのも1つだが、実際にはこの移民化テスト、問題の質や内容に問題があり、オランダ人でも受からないと揶揄されていたり。それなりのテスト準備や、テストの一環となっている活動(所定の想定シナリオを手に、お店・警察署・会社など様々な場所に出かけてオランダ語を実地で話した結果を集めるなど・・・)もあり、試験準備時間や気苦労が多そう。またこの移民テストでない場合に受けるNT2というオランダ語国家試験は、レベル的に高くてすぐにクリアできそうもない(オランダ語で大学に進学できるレベルのもの)。 ということで、こうした試験類にキュウキュウになったり、ストレスを受けることを避けられるものであれば、などと画策。そして移民して1年もたってやっとのことで、「今は担当ではない・・・」と言う市役所の担当者さんに何とか何度も頼みこみをし、移民試験の担当機関に、試験を受験する必要性について問い合わせをしてもらうことに。

まずは自分がこれまで通ったデルフト工科大学のオランダ語コースの秘書さんにお願いをし、Cijferlistという、各コースのレベル説明と、各コースの受講結果を示したものを入手。(ここDelft TUでは上級コースを卒業しないと、正式なCertificationを出さないとのことで・・・) その証明書をスキャンしたものを、サポートを最終的に承諾してくれた市役所の担当者に送付。 送付後すぐに、「これから担当機関に問い合わせをするので待っていて」と返事をもらい、何日かたった昨日アップデート。即、「こんな証明書ごときで許可しません」とでも言われるものと思っていたのだが、意外や意外、この移民試験の担当機関から、「これからこの証明書とこのコースについて精査をするプロセスに入るので、2週間後に結果を通知する」と返事をもらったとのこと。

とりあえず審査してもらえるようだが、さすがに移民試験免除になるのは難しいかもしれない。でも何も試みずに、ストレスのたまるらしき移民テストにトライするよりは、、、いいのかな?ということで、暫くオランダ語は自分のペースで勉強しつつ、審査を待つことにしたいと思う。

Wednesday 6 March 2013

角度を変えて、ジョブハンティング(試み)

これまで、Webサイトを主な情報源として活動してきた、オランダでの職探し。Linkedinや、各企業のサイトにある求人情報、そして日系団体さんのサイトにでる求人広告などなど。ただ決まって、履歴書を出しただけで、「残念ながら、今回は・・・・」のお決まり文句で始まる定型的な自動メールでの却下通知のみ。全くの進展なし。

色々な人達の情報を見ても、ウェブ上で応募する数が夥しいので、そこから拾われる数は非常に限られているとは聞いているので、相当のビッグアドバンテージがない限り、拾われることは難しいのだろうなと感じる。確かに、自分が採用する立場にあった頃を考えれば、例え、「日本語必須」と書いていても、ウェブ上に情報が公示されていると本当に世界中から応募がくる。1つのポジションに多分300-400位来ていて、ここから正しい候補者を拾う方が大変。ウェブの応募から拾った率はかなり少なかった。

更にはやはり、自分の場合、企業が欲しいと思うであろう必須経験・スキルが1つ欠けている。それはオランダ、広くはヨーロッパでの職務経験&現地の言葉。例えばオランダの国内企業であれば、英語が話せない従業員もいるので、特に自分のSpecialtyの分野の職務ではオランダ語が必須。また国内での事業のためには、オランダ国内の事情やネットワークを持ってくれていることが期待される。一方、アメリカ・イギリス系の企業はというと、英語で仕事をできる率はポジションによっては上がるとは思うが、これらの企業が欲しい人材は、「現地のことを知っている、現地にネットワークがある」人。これは当地でビジネスを展開するためには、当然だ。 では日本企業はというと、やはりマダマダマネジメントポジションは、基本的には駐在が多そう。現地採用もあるかと思うが、特に日系以外の企業を相手にするビジネスを展開している企業にとっては、これまた現地採用するからには、現地の土地勘・言葉ができ、ネットワークのある人材を手にいれる必要性あってのこと。ということで、レジュメ段階で却下にいる理由もよくよく理解できる。

自分のこれまでの経験は決して活かしきれないものではないと思うのだが、活用してもらえる土壌は限られているのは事実。またそろそろ自力・直接応募(それもウェブサイト)からの応募の限界を感じる。このため、あまり公にならない空きポジションの情報を得られる立場にあり、自分の経験をしっかりと理解し、うまく推薦してもらえる人・団体の存在が必要だなと感じ始める。ということで、発想の転換、日本をベースに活動しいるが、海外採用に強く、マネジャーポジション以上の経験者を専門にしている日本のエージェンシ-さんの1部門の方にお世話になろうと決める。ちなみに、外資系のグローバルエージェンシーは、全てではないかもしれないが、大体が外資系企業の日本人の日本採用が主眼で、他のオフィス(オランダなど)の担当に橋渡しをしようということがなく、日本で就職しないならば全く相手にさえしなくなる傾向がある。

海外勤務、それもオランダ勤務できるポジションとなると、プロであっても本当にそうそう出くわすものでもないが、自分のこれまでの経歴・経験を正しく理解し、事情も分かった上で、難しくともできる形でサポートをして下さるとのこと。そう簡単ではないかもしれないが、商売ではあるといえども、その暖かい姿勢と理解に少し安堵感。 どこで何がつながるか分からないこともあり、過剰な期待はしなくとも、暫くお世話になることにしたいと思う。

Tuesday 5 March 2013

子牛との格闘!

ここ最近、オランダ語コース時以外は、朝夕お手伝い中の牧場。羊の出産期に突入した今、非常にやることが増えている我がパートナー&家族、微力とはいえどもできる限りサポートできたらなと思っている。

でもこんな繁忙期な中、我がパートナーの日本出張が入る。ということで、この不在中、委託で飼育している子牛80頭のお世話は我が細腕へ。今までもそうなのだが、「これして、これして、これすれば大丈夫」とマニュアル的な指示を受け、大体が普段のお手伝いでやっていることなので、「はいはいはい、分かってるから大丈夫~」というと、何かが起きる。。そして今回も起こってしまった。

朝子牛の舎のドアを開け、作業のための場所に向かおうとしたところ、2-3の大きな牛の糞を発見。それも構造上、絶対に柵の中にいる子牛たちが糞など落とせない場所。怪訝に感じ、端のグループを見ると、各セクション5匹いるはずの子牛が、4匹しかいない!一瞬、「あれこのグループって4匹だけだったけ?」と錯覚に陥りかける。でも柵は高いし、どこも壊されている後もないし、こんなところを飛び出るはずがないのではと思っていると、どこからか異常に大きな鳴き声。何と、本当に1匹、本来いた柵のなかから飛び出して、牛舎の端っこの方で鳴いている・・・! どうやって飛び出たのだか!

まずは駆け寄ってみると、震えて恐れて更に端っこへと逃げて行く。子牛といえども、結構な大きさ&重さ。さすがに抱きかけて戻すことも、ひっぱって戻すこともできなさそう。とにかく子牛自身にもといた柵のあたりまで歩かせるしかない。でも、各グループの柵の後にこの子牛がいることで、他の柵の中にいる子牛たちが珍しそうに柵を隔てて彼女に近づき、かまってもらえるからか、さらに動こうとしない。 ということで、どうしたものかと考えた末、暫く放置することに。様子を見つつ、やるべき餌やり作業を淡々と続ける。それに他のグループに餌をあげ出すと、お腹がすいている子牛たち、餌にいちもくさんに駆け寄り、逃走子牛を構わなくなる!

少し他の子牛たちが落ち着いたところで、また逃走子牛を戻すためのアクションへ。お腹がかなりすいているはず、ということで、自分が近づくと恐れるので、戻ってこさせたい方向へ、餌を少し小山盛りに置いて、自然とこちらに歩いてくるよう誘導を図る。すると狙い通り、少しずつ戻ってくるのだが、ある地点にくるとピタッと足を止めて、端っ子にまた戻ってしまう。。次にはバケツに餌を入れて、目の前に見せながら、少しずつ本来の場所へと持って歩くも、やはり一線を越えない。

えーい、重そうだけど、面倒だから、後ろから押して檻に押しこんでしまえ!と、何とか子牛の後に周り押してみるが、やはりこれまたある地点を境に止まってしまい、抵抗して自分の足を思い切り踏みつける。。(結構痛い…)  などなど、格闘すること1時間半以上。さすがに力のない自分ができることはもうないと思い、諦めかけて放っておいたところ・・・・ 近くでぶら下がっていたビニール紐を食べだす。こんなもの食べちゃダメと紐を取り上げて、別の場所の置いたところで、悪い知恵が働く(!) 

餌の入ったバケツを持っている自分が近くにいるから怯えるのかもしれないので、バケツに紐を巻き付けて、食いついてきたところで、そろりそろりとバケツを引っ張り、もといた囲いのところに戻せるかも!と。この作戦はかなり好調。かなりお腹をすかせていることもあり、かなり前進。ただし、何故か自分の檻の鉄格子が見えたところで、ピタッと足を止めて、一線を越えようとしない。ただ近づいてはきたので、自分が牛の檻のなかに入り、他の牛がでないように身体を張りながら、辛抱強くこの作業を続ける。ラッキーなことに、他の子牛たちは、異常に自分になつき、楽しそうに自分の作業着にかみついてひっぱってみたり、なめてみたり、全く逃走の気配なし。

格闘すること30分近く、、、とうとう餌入りバケツに促されるまま、暫く全く越えようとしなかった一線を超え、自分から自然に柵を越えて、檻のなかに戻ってくる。やった!そして、戻った後は、何事もなかったかのように、ゆっくりと所定のえさ場の餌を食べ始める。こちらの苦労も知らず!(なんちゃって) ということで、何ともチャレンジング(!?)な課題、無事解決。でもここで試した事柄は、結構大学学んだ動物行動心理学での学びを活かしたように思う。まさかこんなところで活きてこようとは・・・・なんて。


Sunday 3 March 2013

オランダ語耳?

オランダ語集中コースが終了してから半月。授業がないとなかなか、ハードにオランダ語漬けになることは難しいものの、短時間ながらコツコツオランダ語の音&字に触れるようにしてみている。

まず1つは、デルフトTUの集中コースのテキストを丁寧に復習。改めてCD-ROMをじっくりと聞き、1つ1つの単語の発音、全体の抑揚をできる限り真似して、声に出す。あまり沢山詰め込むと続かないなと思い、毎日1テキストに限定。またこうすると暗記キャパも広めになり、単語などが暗記しやすくなった(気がする) 各章で出てきた単語で覚えきれてないものや、その単語に関連するもの(過去形の動きとか)もできる限り一緒に覚えていく努力中。

もう1つは、毎日オランダ語のTVを可能な場合には字幕付き(Ondertitel)付きで見る。これにより音の慣れも上がってくるし、Spreken Taal(話し言葉)のストックを増やすことができている気がする。英語の映画やドラマなどが、オランダ語の字幕付きで見られる場合にも、「ははぁ、これってこういう言い回しするんだ~」と結構勉強になる。

そして以前から継続中の週1回のSamenspraak。この場では、以前と同様、沢山フリートークもするのだが、コース終了後にあえて取り入れてもらっていることが2つ。1つは新聞の記事読み。お相手のオランダ人のご婦人が、新聞から興味深いと思った記事をピックアップし、その時間に一緒に声に出して読んだり、書かれている内容についてディスカッション。たまたま日本の関連の記事を何度か見つけてくださり、これであると背景も分かるので、日本の全国紙の大きさの新聞の見開き2ページとかなり分量も多く、多少難しい単語が含まれていても、何となく想像もでき、読みやすい。

またもう1つは、コースの先生から薦められていた、音読。オランダ人にはテキストをみせず、デルフトのコーステキストを大きな声で読むいう取り組み。万一彼女が少しでも発音が変で、理解できない部分があれば止めてもらい、正しい発音をとことん教えてもらう。実は以前もこれをお願いしていたのだが、少し渋られていた。渋られた理由は今明かされたのだが、自分がPerfectionistで、少しでも間違いが分かると委縮する性格と見抜かれており、まずは委縮せずにとにかく話させる場面を増やしてあげた方がよいのではと思っていたからとのこと。ただ、大分話すことに委縮しなくなったし、発音が課題と明確になっているので、協力くださることに。

結構厳しく指摘いただくと、当然と思っていた発音が実は違っていたりと、結構目から鱗といった指摘が多々!そしてその事実が分かり、正しく発音ができるものが増えてくると、耳の精度も上がって来たように感じる。人の話を聞いていても、TVを見ていても、以前以上に、単語がクリアに聞こえる!(ように思う・・・・)  よく、「正しい発音ができるようになると、聞きとれるようになる」というのは結構いい得ているのでは、、、と思ったり。

こうした一連の好循環により、これまでのオランダ人家族・知人の皆さんと話す機会には、前以上に理解できるし、あまり躊躇せずに話をすることができるようになってきた。何より、以前以上に何故か間違いを恐れなくなり、相手に通じないようだったら色々いいかえるほどの度胸まで!:)

少しずつ上向き状況を維持できているような感じがするので、引き続き勢いに乗って、オランダ語が伸びて行けることを願って!

Friday 1 March 2013

オランダで・・・きのこ、きのこ、きのこ!

日本にいる時には常用食(おおげさ?)の1つだった、きのこ。自宅で料理するときは勿論、お気に入りのレストランでは、必ず「キノコの盛り合わせいため」系のものを頼んだり。

そして今。オランダの片田舎に生息中のため、日本のように豊富な種類のきのこに巡り合えない。比較的近所の村々に、白いマッシュルーム(シャンピオーン)や多少違う形のきのこを生産する地域があるくらいなので、決してない訳ではない。現に我が村にある大手スーパーマーケットチェーン店では、このシャンピオーンの他、東のきのこ(直訳するとすごい変・・・)という名のすこしまいたけを大きくした感じなきのこや、Sitake(生しいたけ)が売られている。ただパック詰めされた中身が少なく、シャンピオーンが2パック1.5€位で売られているのに対して、1パック2€~2.8€と高いので、何となく、頻繁に買ったり、ましてやふんだんに使って料理できずにいる。

そろそろ東京を離れて1年以上がたち、日本のきのこが恋しくてたまらなくなっていた(おおげさ・・・)最中、とうとう見つけた!何かがあると繰り出す我がエリアで大きな街のマーケットにてきのこ専門店を発見。あまり人が入っていないので、そーっと近寄り忍び寄り偵察してみると・・・ 何と、「Nameko」と書かれた生のなめこや、オランダ語名がついていたけれどエリンギやえのきだけに見えるきのこやら、種類が豊富。思わずあれもこれも買ってみたくなるところだったのだが、残念ながら値段がやはり高い。。ということで今回は何となく気が引けて買い控え。

もしかしたら、アムステルダムやロッテルダムといったもっと大都市に行けば、簡単に手に入るのかもだけれど、とりあえず売られている場所を発見しただけで、ちょっと嬉しい。