Monday 11 March 2013

2013.3.11. in NL

記憶のなかではなくなることは全くないが、この2年間が3.11でのことを含め、自分のなかで濃縮した時間だったからか、随分昔に起きたように感じていたが、今日で3.11.も2年目。

日本でも各地で、会社やグループ、また個人でと、3.11.を振りかえるイベントなど多々あったようだし、自分でもついつい日本時間2.46に間に合うように起きて、自分の心のなかで色々な想いを馳せたり、お祈りをしてみたり。でもあの時の体験、その後を通じて出くわしてきた様々なことは、未だ自分のなかで昇華しきれないものがある。だからこそ、あまり細かく「今時点」での自分の気持ちを書きたくないなと思い、公の場では、3.11.に関して少し発言を控えている。

それはさておき。ここオランダでは、ニュースでまずこの日のことが放映。2年前の津波や原発の映像、追悼式での天皇陛下の様子、総理大臣のYOUTUBE映像の紹介など。自分の国以外の出来事とはいえ、やはり世界に相当のインパクトを与えた出来事だったのだと改めて感じる。

そしてニュース以外にも。3.11.である当日に取り上げられたのが、福島県浪江町を舞台にしたドキュメンタリー番組。原発の背景、原発を頼りに発展してきた村のこと、そして事故が起きた後の様子、ここで生きてきた人達の気持ちの揺れ動きと想いなど、一人の女性を中心に描いたもの。日本人によって作成されたものを、オランダ語のサブタイトルをつけたり、オランダ語で語りを入れたものを挿入した形で放映。

これまで文字などで読んだこともあった程度のことが、こうして当事者の方の言葉でつづられているのを目の当たりにし、涙が止まらなくなった。東京であまり深く考えることなく使っていた電気を支える背景に、沢山の人達の思惑と人生と、諸々が錯綜していたという事実。この出来事が起こってもまだ「きらびやかな」都市、東京と浪江町との風景に比較。帰りたくても帰れない現実。普段は平静を装おうとされていても、時としてのぞく本当のキモチ。

ちなみに、海外から見ているので、自分が偏って見えていたのかもしれないが、日本での追悼関連での取り上げ方が、一部「地震・津波」被害に少し偏っていて、「原発」が少しタブーのように扱われているところも見かけ(気のせい?)、違和感を感じたのだが、ここ外国で当日取り上げられたのは「原発」被害。少し温度差を感じる。

ともあれ、現在このドキュメンタリー、少なくともオランダ国内において暫くWeb上での閲覧可能。(見逃したテレビをWeb上で見られるという仕組みがあるので) また今後も断続的に、3.11.関連のドキュメンタリーが続くようなので、できる限り見て行きたいなと思う。

2 comments:

mina said...

波江町のドキュメンタリー見ました。おばあちゃんたちが仮設住宅横の道路で、”若けりゃなんとかなるけどねえ”といっていたのが、とても切なかったです。

どんな原因であれ、帰属する場所、家、実家、田舎、コミュニティー、仕事場、国家を失ってしまうことは、とても不幸なことですね。私は”ソト”にいますが、いつも帰れる安定した国、かわらない田舎があるからこそ、”ソト”にいられるのかもしれません。

りすねこ said...

帰れる場所、そして変わらず会うことができる家族・友人がいることは、本当に有難いことですよね。

ソトに出たことにより、当たり前に思っていたことが、どれだけ有難いことかを改めて感じることができたというのは、大事なことかもしれませんね。