Tuesday 30 April 2013

オランダ王位継承式。

日々盛り上がりを見せ始めていた、オランダのベアトリクス女王から、彼女の息子であるウィレム・アレキサンダー皇太子への王位継承式。 当日は、見事に晴れ上がり、目立った強い風も吹かず、美しい春の日となった。

我が家にお迎えしていたゲストが、ものの見事に全くこの行事&王室に興味がなかったので、あまり多くテレビを見ることもできず、式が行われていたアムステルダムに行くこともできず。これはちょっと残念。。 とりあえず、通常の女王誕生日に各地で行われるフリーマーケットや、街での盛り上がりを少し見るために、少し大きな街までお散歩に行く程度になってしまった。

ただ、実は昨年の女王誕生日の日も同じ街に出かけたのだが、昨年より街は閑散。カフェも多少は混んでいるものの、去年ほどではない。ところどころのパブなどで、大き目のテレビ画面で式の中継を映し出していたのだが、食い入るように見ている人は一部。「何でだろうね~。みんな家でテレビでも見ているのかなぁ」とつぶやいてみたのだが、どうやらビンゴだったらしい。

その後、自宅に戻ってみたニュースなどを見ていると、どうやら式が行われたアムステルダムでさえ、訪問者が昨年の女王誕生日の人数を下回ったとか。また各大きめな都市でも、街に繰り出している人は少なかったらしい。どうやら本当にテレビで見ている人が結構多かったらしい。

自分の場合には、ゲストをお見送りした夕方から、テレビにかぶりつき。テレビでは、何かしらの行事が行われると中継になるのだが、行事が途切れると、その前までにやっていた行事を幾つかまとめてダイジェスト。そこで、メインポイントはキャッチアップ。

そして丁度中継で全部を見られたのが、夕方の水上パレード。あまり事前に情報を細かくチェックしていなかったので、ただただ水上ボートで通り過ぎて行くだけなのかと思いきや、要所要所でエンターテイメントが用意されている。ボートに王様&女王様&プリンセスたちが乗り込む前には、他の会場に集まった歌手たちと観客たちによる、新王への歌の合唱。そしていざボートが出発した後には、船上でのミュージカル、オリンピック金メダリストの体操選手による演技、DJとオーケストラのコラボレーションなど、次々に王族を載せたボートが通るポイントポイントで見世物が登場。オランダの歴史や、オランダを象徴するものを見せていたようで、少しロンドンオリンピックの開会式を思い出させる。何だか「王位継承」の規模が違う!

またこの途中で映し出されるオランダの人々の顔を見ていたり、大騒ぎの好きなオランダ人が通常の女王誕生日での行動とは少し異なり、比較的適切な形でお祝いをしている様子を見ていて、いかにこの王室が敬意を払われ、国民から愛されているのかを感じる。 これまで、王室反対の人達からの激しい抵抗があったり、他国のパートナーを得ることで悶着・議論を呼び起こしたりもあったようだし、一筋縄ではいかないオランダ人の性格を考えても、ここまでの存在になるにあったて、女王様をはじめとした王室メンバーがいかにしっかりとした働きをし、国に貢献してきたんだろうなと感じる。 また程度の差はあれ、オランダ国籍以外の伴侶を得た、女王・そして新王。双方のパートナー共に、オランダ国民に一目をおかれ、とても人気があるよう。色々なオランダ人との会話で感じるのは、オランダの文化に敬意を払い、理解につとめ、言葉をしっかり習得するという姿勢、そして様々なことに前向き・オープンであり、優しい・明るい人柄。こんな辺りが評価されているのかなと。

ちなみに、色々なことに好き勝手に、ダイレクトに意見するオランダ人たち。実はこの日演奏される王様への歌でも悶着が合った様子。散々批判され、作曲者もへそを曲げかけたのだが、結局最初に作られた歌で式は敢行。・・・でも、あれだけぼろくそ言われていたのに、合唱の練習をする市民たちや、終わったお後に、「結構悪くない曲だったかも」なんてコメントが紹介されていたり・・・ちょっとお騒がせ!

何はともあれ。盛りだくさんな1日。未だ消化不良気味なので、改めて後日、王様のスピーチを全文読みつつ、感じたことがあれば、ポストしてみようかな。

おまけ:
宣誓式にゲストが入っていくビデオ
新王と女王が会場に入っていくビデオ
元女王と子供たち(みなタイトルは”Princes"!)が会場に入っていくビデオ

Sunday 28 April 2013

親の心情は子供に伝染する?

最近、我がパートナーの牧場で、ますます大きくなってきた羊の赤ちゃんたち(子羊)。そして最近では、ママ羊からのミルクのみならず、ママ羊が食べているものとほぼ同じものを口にするようになっている。

とはいえ、公な場所(!)に餌を置くと、母羊が全て食べてしまう。いつもはとても子羊をケアする母羊たちではあるが、いざ好きな餌が来ると、わき目もふらずひたすら食べることに集中。さらにはちょろちょろっと子羊が、餌置き場にふらつき、試しに食べてみようと食いつこうものならば、頭突きやら足で子羊を蹴散らす!

そんな訳で、まともに餌にありつけない子羊用に、子羊たちだけが出入りできる場所をこしらえ、子羊用の餌を置く。そのお手伝いを時折する際、我が庭で育てていて異常に懐いている子羊Patriciaと同じく、ついつい子羊をなでたくなるのだが・・・・ 全くもってこちらに寄りついてもくれない。ではと、こちらが少し近づくと、物凄い逃げ足でいちもくさんに逃げ去ってしまう。さらに、餌の誘惑に負けて近づいてきたところを、そーっと後ろからなでると、これまた瞬く間に逃げてしまう。

餌あげる優しいお姉さんなのに!(!?)、何故なかなか懐いてくれないのかなと、我がパートナーに質問。すると、「見えないかもしれないけれど、母羊が怖がっている気持ちが、子羊に伝染しているんだよ。母羊がその緊張感をとかない限り、状況は変わらないから」と。 ふむ。

こんなことを知った後に、ふと気付いたことが1つ。そう、これは羊に限ったことではないということ。人間も同じ。この関連性に気付いたのは、この事実を知った後に、パン屋で出逢った父娘。大抵のオランダ人の子供たちが、だいたいがじーっとこちらを見てにこりともしないことには既に慣れてきたのだが、ふと横にいる父親を見ると、何とこちらが挨拶をしようとしても、目をそらす。 さらにこちらがパン屋の店員さんと和やかに話をしていても、まだこちらにぴきぴきと「こっちを見るな」という空気が伝わってくる。

ふむ。これは子供たちが笑顔であいさつしてくれる日はなかなか遠そうかな。なんて。

Saturday 27 April 2013

お祝いムード盛り上がり中?

4月30日の、新王&新女王誕生までカウントダウンが始まった感のあるオランダ。

以前から売り出しはじまってはいたのだけれど、日が近づいたこの週末、パン屋さんやスーパーマーケットでは、オレンジ色や、国旗の色をあしらったケーキ・クッキーの種類が増える。

そして丁度本日から、我がパートナーのアメリカ勤務時代の同僚たち(アメリカ人&インド人)が我が家に泊まり&遊びにくることに。そんな絶好のいい訳もあり、折角なので、我が家も便乗して2種類ほど購入。お味は如何に! :)


Friday 26 April 2013

オランダの動物園へ、小遠足。

少し暑くなったかと思えば(20度以上!)、コートとふあふあ付きのブーツが恋しくなるような寒い日に戻ったり、相変わらずのオランダの春。本来であれば、至る所でチューリップ他、沢山のお花が満開!のはずが、未だ蕾のままのところも。

とはいえ、天気に憂鬱になっていても仕方がないので、ずっと懇意にさせていただいているオランダ人家族から、「無料チケットがあるのよ、一緒にいかない?」のお誘いにのり、比較的近くにある動物園にお出かけ。 

思い返せば、動物園なるものに最後に行ったのはいつだったか。全く記憶にないほど昔か、行ったとしてもそこまで動物に思い入れがなかった自分。それが今や、オランダという外国で、牛・羊を世話する牧場に毎日出入りし、挙句の果てには庭に赤ちゃん羊を飼うほどに。 こうした流れがあってか、今回久しぶりに訪れた動物園、動物の様子や、お世話をしている人達の様子や、色々な点でとても楽しく過ごした。

ということで、少しここで撮ってきた写真をポスト。

ちょっとLazyなライオン。

ボスざるは高いところがお好き?

この日は雨。寒すぎとはいえ、ここまで寒がらなくても・・・


雨宿り中。 :)







水のなかから、人の手を食べようとする白クマ!


ペンギンさん、ジャンプ直前!

すごい格好・・・



Thursday 25 April 2013

やっぱり無理はいけない。

ここ最近再開した、ちょっとした翻訳のお手伝い仕事だが、納期が比較的短く、週末に集まりがち。週末は、我がパートナーもさすがに会社がなく、牧場の仕事のみ(それでも多すぎるが・・・)、多少隙間時間を使って、ちょっとしたお出かけを企てるので、少し両立が厳しい時も。

とはいえ、欲張り&追いつめられないとやらない性格、折角なので、頑張って両立するぞー!と、先だっての週末は、最近赤ちゃんが生まれたオランダ人の友人夫妻を訪ね、オランダ南部の都市へ。

お昼前にお邪魔し、赤ちゃんの顔を見せてもらったり、最近のキャッチアップをしているうちに、やっぱり予定をオーバー。戻ってくると午後3時。そしてそこからお仕事開始。とはいえ、夕食支度や、Patriciaへのミルクやりやら、諸々両立していると、あっという間に時間は過ぎる。日本時間に締め切りが合わさっているため、締め切り自体には間に合ったものの、すっかり夜中に。

そこから多少の仮眠状態で、朝5時に起き、我がパートナーの牧場のお仕事のお手伝い。無理強いをされることは少ないが、どうもこの日ばかりはどうしても人手が必要ということで、「あとで昼寝すればいいでしょ~」と、無理やり(!?)起こされて、眠い目をこすりながらお仕事。

とはいえ、実は普段の平日も、朝早く起き、夜遅くまで牧場のお手伝いをし、慢性的な寝不足状態。昼寝すればと言われても、家事に、勉強に、急なお誘い入りに、、、と、いつも結局昼寝をしたことがない。この生活リズムがずっと続き、かなり身体に無理がたたっていたようで、今回の半徹夜状態でのお手伝いが、最後の一撃に。

とうとう何とか持ちこたえたかと思いきや、前日夕方眠さのため、沈没。ベッドに倒れ込み、手足もひくひくで、何をする気にもなれない。こうなると、さらにネガティブモード満開。「私って何やってるんだろう」。

そんな訳で、色々な過去の積み重なり事項もあり、小爆発。夕食作りと牧場の手伝いはボイコットで、ひたすら眠る。さらに沢山眠ったはずなのだけれど、午前中も爆睡。。そしてやっと起き上がり。

かつては、仕事の性質上、2日-3日連続ほぼ徹夜とか、睡眠時間3時間程度で1カ月過ごすなど、「男より強い!」と言われ、「たくましい」と上司に言われ続けた自分。(あまり嬉しくないけど・・・) そんな自分も歳には勝てず? やはり、もう無茶はせず、まともな生活リズムをもって、生きて行かなくてはかな?

Wednesday 24 April 2013

オランダ語学びの教材追加!

このところ、オランダ語の勉強の一環として、ぽつぽつと手に取り始めた、オランダの全国紙新聞。自分が興味あるトピックであったり、読む気持ちが砕けない程度の長さ(!)であったりを見つくろいつつ、少しずつ読む。

こうして読んでいる気づくことは、自分は分析が好きなのかな・・・ということ。内容を理解することもそうなのだが、それぞれの文章の構造を解き明かしていく快感。大学受験のために英語を学んでいた時も、小難しい文章や構文を読みほどいていくのが好きだったな・・・なんて思いだしながら。また色々な時事問題を知ることが好きなんだな・・と感じる。

ただここでふと気付く。この路線の文章ばかり読むことに時間を割くと、またしても「話言葉」が見に着かない。アカデミックな必要性だけであればいいけれど、「使えるオランダ語」を学びたい場合には、これだけに時間を割いてしまうとまた偏った力がついてしまう。(つくだけいいかも?だけれど。。) そんなちょっとした悩みを、今週のSamenspraakの時間に話ししてみると、1つのご提案をいただく。

それは、新聞が好きならば、全国紙(NCL-リベラル派, De Trouw-旧プロテスタント系で、左派, De Volkskrant-旧カソリック系)よりはやわらかめ、でもゴシップ紙よりは語学的にも内容的にも良いものを読んではとのこと。それに当たるものとしてお借りしてきたのが、「Province」単位にあるらしい新聞。 オランダ全土に掛る問題もあるが、その地域地域に根差した問題やトピックが取り上げられていたりするので、役に立つであろうし、幅広い読者層を狙っているので、オランダ語も程良いレベルなのではと。

ということで、今週から少しこの新聞もちょっと取り込みつつ、引き続きオランダ語精読を続けてみたいなと思う。 英語を勉強していた頃に、他国の友人たちに、しゃべることにも含めてお薦めと言われていた、何かよみものを読むこと。効果はいかに・・・・!

Tuesday 23 April 2013

イスラム教とテロ。

難しい問題なので、未だ自分の考えがまとまっていないなかブログに書くのははばかられるのだが、少し考えの整理のため、書いてみる。

先日英国MBAのクラスメイトの、シリア人の友人が、Facebookに少し前に書き込みしていたコメントを見つける。その内容を見て、複雑な想いを感じた。彼は自分と同じMBAコースに留学し、その後も更にOxford大学に進み、ダブルMaster Degreeを取り、多分彼の国のなかではインテリ層と思われる。また外資系企業で働いていたこともあってか、多国籍なバックグランドのクラスメイトともめることも全くなく、いつも笑顔で人に接する人だった。時折、宗教のことや、対アメリカという点で、普段は穏やかでも、物凄く熱くなってしまう人もいたが、彼は冷静。

ただシリアの紛争が始まって以来、書き込みも少なくなったし、時には正式な本名を出さなく(略語化したり)なったり、非常にSocial Mediaの扱いを気にしている素振りを見せていた。そのようななかで、敢えて書きこんだからこそ、彼の心の叫びなのではと感じた。その内容は、何故世界では、イスラム教徒が関わったことが起こると「テロ」と呼び、同じ人種が起こすと「テロ」と呼ばないのか、と。例えば、ノルウェーで一人のノルウェー人が銃で犯した大量殺人はテロとは呼ばれていない。世界でイスラム教への偏見があると、訴えかけている。

そのような書き込みをみた後に、ボストンでの事件が勃発し、「テロ」と認定される。そこで改めて考えてみる。テロの定義って何だろうか? Wikipediaを引用すると、「恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的目的を達成しようとする、非合法の組織的暴力の行使、およびそれを容認する主義のこと」であり、物理的よりは、心理的な効果を狙ったものとのこと。ただ多少定義にはそれぞれ立場があるようで、アメリカでは国民の安全を脅かすものも入ると。 これらを考えると、イスラム教関係者(それも極端な派)による事件もあるし、目立つものが多いが、イスラム教徒以外の事件でも、このテロの定義に入るように見えるが、テロというよりは「奇異な」事件として処理されているように感じる。

イスラム教に関しては、自分もかつては「怖いもの」と偏見があったのだが、英国留学でできた親友の何人かがイスラム教徒であり、彼ら・彼女たちを通じて、イスラム教への誤解を感じた。真摯に自分の宗教を学び、大切にし、謙虚に・ピュアに生きる彼ら・彼女たち。いつだったか言われたのが、「アラーは、必ず自分の目で聖書を読み、学ぶようにと言っている。さもなくば、誰かのうがった解釈により扇動されて、ことがあらぬ方向に行ってしまう。」と。今起こっていることは、まさにこの状況のように感じる。

イスラム教徒・モスクなのか、この宗教に関して世界の誤解を正していく試みも必要に感じるものの、自分たちの宗教以外に対して全く敬意を払ったり、理解をしようとしない側にも、問題があるように感じる。 世界がおかしな方向に行く前に・・・と思ったり。

Monday 22 April 2013

De meeste ziektes gaan vanzelf over?

東京で暮らしている時には、そこまで病気・怪我もなく、多少怪我しても、自分で処置すれば何とかなる範囲だったのだが、何故かオランダに来て以来、断続的に小さなトラブル発生。 ここオランダ、それも田舎の地の空気・水・環境に未だ慣れないからか(身体&気をつけ方)、或いはたまたまか。。

更には何かが起こる時に限って、何かしら悪い予感を喚起させるインプットがあり、ついつい、「普通の病気の状態に見えても、実は○○という病気かも・・・」など、あらぬ疑いをかけてしまう。すると、不安に駆られて、やはりお医者さんにきちんと診てもらって、万一の時には早く処置できるようにしたい・・・なんて気がせいてしまったり。

そんな自分の気持ち・考え方とは裏腹に、我がパートナーの反応はいつも悪い。具体的に症状が出てきて、目の前で見せても、「大丈夫じゃない~?自分も似たような症状が出たことあるけど、最終的には治っちゃったし」と。 治った経緯は、自分で処置することもあるが、大抵は「放置」。。更に、治った期間が、2週間だの、1カ月だのと長期戦。

自分でも病院に行くほどではないけれど、何か適切な薬さえ処置してもらば大丈夫そうという状況の際には、「薬屋さんに行ったらアドバイスくれるかな?」と聞くと、「大抵の薬屋さんはアドバイスくれないし、処方箋なしで買える薬は少ないと思うけど~」と。更には、「でも薬が欲しいためだけに、Huisarts(General医)に行くの?1回の簡単な診療だけに、50€近く取られるのに?勿体ない!」と。

・・・と、これでどうやらお互い相いれない理由が分かった気がした。1つは、文化の違いか、育った環境の違い(田舎、特に牧場 vs 都会)からか、怪我に対する見方が違うようだ。人間には自然治癒する力を信じ、多少不具合があっても、そっとしておけばそのうち治るというところ。そして・・・医療費の高さ。倹約家(悪く言えば、ケチ)のオランダ人としては、無駄な出費は避けたいのかもしれない。。。

そしてここ最近、指のささくれを抜いてしまったところ、思わぬ黴菌が入ったのか、すっかり悪化。普通であれば、少し血が出たり、暫くしみるという状態位だったのだが、毎日「これでもか!」というほどのはれ上がり。何かの拍子にどこかにぶつけてしまうと、物凄い激痛が走ったり、腫れている近辺で血がどくどくいっているのを感じたり。。この調子が2週間以上続いたとき、さすがにGive Up宣言。「もう本当に苦しいし、これでは家事もできないから、病院に行って薬もらいたい」と。 それでもだましだまし、Huisarts行きを伸ばされ(!?)、気づいたら1週間。でも何かの拍子に出血した後、終息。

ということで、「オランダ(田舎・牧場)式」荒治療。今度はどんなことが起こるやら。。


Sunday 21 April 2013

悶々、そして不安一杯。オランダ語の学習進捗。

デルフト工科大学での、デルフトメソッドによるオランダ語集中コースの中級コースをやっとの思いで卒業して、早2ヶ月。最後の上級コースに通うまで、結構時間があるので、じっくりと腰を据えて復習&少し難しい内容を取り組んでみるか!と思っていたのだが、追い詰められないとやらない性格。結局、ずるずると毎日を過ごす。

過去のテキストで覚えられていない構文・言い回し・単語・熟語を徹底的に暗記してみよう!と、毎日1章ずつにあえて限定して試みるも、何だかだと時間が取れなかったり、音読のし直し&見直しはできても、いまだ頭にこびりつかず。

かろうじてできていることは、Samenspraakプロジェクトでお相手をしてくださっているオランダ人ご婦人のお陰で、週に4-5本、新聞 or 雑誌 or インターネットで記事を読むこと。結構固い内容だし、オランダ人でもしっかりと勉強していないと読めないと言われる構文&単語が満載だし、こうして頭を使うことは良いことなのだが、頭の刺激にはなっても、オランダ語の言語習得としてはプラスに働いているのだか、何にも貢献していないのか分からない。

前回のコース中に、最後の週で曲線を描くように一瞬伸びた(ように思う)スピーキング力に至っては、後退している気がしてならない。。Samenspraakでは、沢山のトピックの話をするので、「初めて会った昨年の夏ごろを思い返してみて!今ではこんなに多様なトピックを深いレベルで話ができるようになっているのだから、自信をもって!」と励ましてくださるものの、何だかしっくりとこない。多分、これは彼女の優しさと、毎週話しの相手をしてくださっているため、自分の英語なまり・日本語なまりなオランダ語の発音になれてくれてしまっているし、オランダ語的な表現・話しの展開ができなくても、「きっとこういうことを言いたいのね?」と解釈してくれてしまっているからなのではと。つまり、自分の力というよりは、相手の方の度量・優しさに助けられているという方がしっくりくるような。

そして、前回のコース中のようなハードさで勉強できていないため、自業自得なのだけれど、こうした状況のなかで、上級コースに通うことに段々と不安を感じてくる。折角伸びてきてたのに、また後退しちゃった自分を見て、先生にがっかりされちゃうのじゃないかとか、そもそもコースについていけるのか、卒業できるのだろうか・・・など。

英語を学んだときのことを思い返すと、「上級」は本当に遠い存在だった。大学への受験勉強のお陰でかなりしっかりと英語の文法と単語・熟語量はあったため、読みについてはめちゃくちゃ強かった。一方で、聞く話すは壊滅的。めちゃくちゃなアンバランス。よって、学んだ期間は長いのに、英国MBA留学準備を始めた頃から、実際に留学するまではずっと、中級の中~上のあたりをうろうろ。そしてやっと、日本に帰国した時に、再び通い始めたブリティッシュカウンシルでやっとジャンプアップし、上級の上のクラスへ進めた。

でも今のオランダ語は、何だか地盤がゆるいというか、未だ未だ文法でも不明瞭な部分もあるし、完全にものになっている単語量&熟語量が圧倒的に少ないのがよく分かる。英語のように、かなりの文法レベルと単語量があり、地盤がある程度しっかりした上で、上を目指して頑張っているときと、かなりの落差があるような気がして、いつも不安だらけ。

早くこの状態を脱するべく、頑張らないとな・・・と思いつつ。また今日も日が暮れていく。情けなさし。。

Saturday 20 April 2013

男性脳と女性脳。

今日は明け方の牧場で、ちょっとした他愛のない喧嘩勃発。その際に、「何で、そんなこととと、このことがつながるわけ?」と言われて、はっと思いだす。

時折、育った国の違い、文化の違いが原因なのかなと思っていたりしたのだが、いやいや、どうやら世界共通の、男女の考え方の違いから来ているのかもと。

5年ほど前、ドイツで働いているインド人の親友夫妻を訪ねていった際、彼の同僚主催の日曜朝食会に一緒にお邪魔した。この彼のチームは、敢えて多国籍な社員を採用して活用しているところのため、集まった同僚の面々、非常に国籍豊か。出身地は、アジア、アフリカ、中東、北欧、西欧(複数)と、かなりの地域にまたがっていた。

そんな集まりで、たまたま見ることになったYoutubeにあがっている、とある心理学の教授の一部の講義のようなビデオ。そこで語られていたことが、男女の脳の働き方の違いだった。詳しくは覚えていないのだが、そこで語られていたことは・・・・ 男性の脳の中では、それぞれトピックごとに独立した部屋ができており、1つのことをやっている時には他のことが手に着かない。例えば、TVのチャンネルを持つと、TVしか見えない状況に陥る。 一方女性の脳の中では、それぞれのトピックの部屋が複雑につながっており、複数のことを同時にできると同時に、1つのことを考え出すと、次々に色々なことがつながってきてしまう。

そしてこの違いからくる顕著な例としてあげられていたのが、男性は、女性が何かが原因で怒りだしたとしても、つぎつぎに、あれもこれも事象がつながり、わーっと色々なことを言ってしまいがち。一方それを聞いている男性からすると、「何でこの話をしていたかと思うと、違う話を持ち出すんだ?全然つながりがないのに」と思って理解できないといったようなことが語られていた。

この話を聞いて、ここで一緒に見ていたほぼ全員が、納得!という反応だった。そしてまさに今また、このビデオでの心理学の教授を裏付けるかのような行動を自分(たち)がとっていることに気付いたのだった。 これで暫くとあるトピックで、お互いが平行線をたどる訳が分かって来た気がするような。

Friday 19 April 2013

赤ちゃん羊の成長記。

前にもブログで触れた、我が家の庭に住み始めた赤ちゃん羊(ラムチェ)のPatricia。

引っ越してきたばかりの頃は、不安そうな様子でいたものの、毎日のように元気に沢山ミルクを飲み、初めての空の下に出て、お庭デビューを果たし、すくすく成長中。ほぼ常に羊の大会で優勝か準優勝をとってくる我が牧場の家族曰く、「太陽」と「空気」は、大事な成長エネルギーになるとか。


最初の1週目は、常に自分が近づくと、不自由な手足をものともせずに歩いて近寄ってくる。また時に自分がどこかに小走りで行くと、できる限りの全速力で走ってついてくる。不自由な手足もこれで鍛えられるからいいかな・・・と思いきや、ふと見ると、不自然な歩き方をするために、毛が抜け、少しむき出しになった肌から血を流している!驚いて、「赤チンつけてあげないと、ひどくなっちゃう!」と我がパートナーに泣きつくと、「大丈夫、大丈夫。自然に治るし、そうして強くさせないと」と。ふむ。



暫く日が経つと、大分肌が強くなってきたのか、確かに血を出すことはなくなる。とはいえ、あまりに心もとなくなり、毎日のように沢山スキンシップを図るうちに、すっかりなついてくる。 自分が芝生の上に座っていると、近づいてきてぴったりと隣に寝ころび、ごろごろとしてくる。時には頭を自分の足の上に乗っけたり。本当にかわいい。と、すっかり子羊はこんなものかと思って、牧場に行った際に、思わず他の子羊たちに触ろうとしたら・・・・ ものすごいスピードで逃げられる!試しにふざけて追ってみると、あまりに早い逃げ足で、全くタッチもできない!半分野生のすごさ。



そして気づく。どうやら、毎日自分や我がパートナーに育てられてしまったがため、人間に対する恐怖心が全くないPatriciaだからこそ、自分が来ると自分から近づいたり、一緒に寝ころんだり(!)の行動だったよう。

そんな平和な毎日が少し続いたある日のこと。我がパートナー父より、「そこまで育っているならば、今不自由にしている手足が直るように試してみたら」との提案。実はこのPatriciaの前足2つともに、本来歩く時に使う爪がある側面が完全に内側に入り込んで、歩いている。このため、毎日少しずつストレッチさせて、内側に入り込んでしまっている部分を矯正していったらと。

助言に従い、一度ストレッチをすると、物凄く痛がる!(当たり前・・・) でも心を鬼にして、Patriciaのためと、ミルクをあげる前に抱き上げて、10回程度ストレッチ。最初はただただ抵抗されていたのだが、段々とストレッチを我慢するとその直後にミルクを貰えることに気付いたらしく、よっぽどの我慢ができないほどにならない限りは、おとなしくストレッチ。

更には食べ物。人間と同じく、ある程度のところで、徐々にミルクを減らし、食べ物にシフトさせ、最後はミルクを全くなくしていく必要がある。人間より早いスピードで成長するので、このシフトも早い。とはいえ、普通ならば、母羊が食べているのを見て、興味を持って自分も試しに食べ始めるのが普通。Patriciaの場合・・・・お手本がいない!さすがに自分が食べて見せる訳にもこればかりはいかず。考えた末、自分にじゃれてきた時に、すかさず口に食べ物を入れ込んでみる。

新鮮な芝生の草は、これを1度しただけで、美味しい!と思ったのか、自ら草をむしってむしゃむしゃと食べ始める!でも、その他の食べ物は、拒絶の一途。それでも暫く続けていたところ、すっかりご機嫌を損ね始める。自分が来ても、逃げてしまうほどに。どうしたものかと、我がパートナーに聞いてみると、「そんなに無理して食べさせなくても、いいよ。ま、気長に」と。 ついつい、牧場にいる他の赤ちゃん羊たちが、既に食べているもので、どんどん成長しているのを見ると焦ってしまったのだが、比べてはいけないな・・・・と感じる。何だか本当に自分の子育てみたいだ。

無理させるのを辞めて、いつも以上にスキンシップを取るようにすると、またいつもの人なっつこいPatriciaへ戻る。更には、段々と、普通の赤ちゃん羊のように、いたづら好きの側面も出てきて、自分が芝生の上で座っていると、何と果敢にものぼってくる! そして、後日写真を見てみると、何と前足が本来あるべき形で立っている! まださすがにこの状態で歩くようになる可能性は低そうなのだけれど、毎日のストレッチの効果かもと少し嬉しくなる。頑張って我慢してくれているだけの効果はあったね!と思わず嬉しくなる。

などなど、毎週のように成長しているPatricia。またその彼女とのInteractionや、成長具合、また他の羊たちの様子などから、自分自身も学ぶことが多い。どこまで育ててあげられるか分からないのだけれど、これから先も暫く、頑張って育ててみたいなと思う。 


Thursday 18 April 2013

やっと春!花の咲き始め。

暫く寒くて、なかなか花に囲まれた春にならずにいたのだが、さすがに晴天で、少しずつ気温が高い日が増えてきたこともあり、少しずつお花の蕾が出てきたり、膨らんできたり。そしてついに!

ということで、少し写真で、我が家のお庭の春の景色をお裾分け。




各家のお庭や、街かどなどでよく見かけるNassici。昨年の12月に球根を植えて、やっとここまで育ちました。 よく見かけるのは黄色の花だけれど、我が家は白。










中程度の高さの花の木。匂いもほんわかと良い香りで、綺麗な白い花で満開に。

Tuesday 16 April 2013

Inburgeringstoets (移民試験)またしてもニュースに。

毎朝の恒例、朝ごはんを食べながら、ニュースを見ていると、幾つかの目立ったトピックの新聞記事紹介のコーナーへ。そしてやおら、聞き覚えのある単語が耳をつく。それは、「Inburgeringstoets」(オランダの移民試験)

時折聞き流し気味なのだけれど、これは聞かなくては!と耳をすませるも、まだまだ自分のオランダ語のリスニング力には難あり・・・ 何となく分かる部分もありつつも、完全理解できず。そこで、同じニュースを繰り返しているケーブルテレビ局のチャネルに替え、もう1度耳を澄ませてみる。でもやはりダメ・・・完全に理解できない。

すこし悶々としつつ、毎週火曜日の恒例、Samenspraak Projectへと出かける。そしていつもの自分のお相手をしてくださるご婦人と話をしていたところ、彼女もラジオのニュースでこの話を聞いたとか。そこで、一緒に読もう!ということで、この記事が載っている新聞をご近所さんから拝借してきてくださる!

今回この記事を載せていたのは、旧プロテスタント系の大手新聞のTrouw。そして見てみると、何と1面下段に掲載されている。今や毎日、世界的な犯罪の話しや、経済の停滞に関連する話が多く、てっきりどこか端っこの方にこそっと載っているのかと思いきや!

そしていざ読んでみると、Nijmegenにある Radboud大学の方が、現在行われているInburgeringstoetsの有効性を懐疑的にみる結果を発表したとのこと。記事には、このテストが導入された背景や、どういったテストなのか、テスト結果のこと、そして何故このテストの有効性が懐疑的なのかといったことがまとまって書かれている。

テスト導入前には、年間29000名の移民が永住権・オランダ国籍を取得していたが、このテスト導入から2年後~2010年では、それぞれこの取得している移民数が半減しているとのこと。半減している理由としては、テスト受験にあたりコストがかかること、難しいことなどがあげられている。

それ以外として強調していることは、内容の妥当性。例としてあげられていた質問は、「もし道でゲイのカップルがいちゃついていて、あなたが嫌がらせ・厭な想いをさせたとしたら、何をするのが一番よいか」。質問に対する回答の選択肢の例は書かれていないので、何とも言えないが、自分自身もすっきりこない。 オランダという国は、国によってはタブー・犯罪になるようなことも、許容できる範囲では許されている。また様々なバックグラウンドの人達を受入れ続け、発展してきた国であり、何か決めごとをするときには、それぞれの立場から喧々諤々議論が続く。(よって時には決まらない) そうした国に、「インテグレート」されたかを図る移民試験の問題のうちの一部がこれ?と、少し驚き。 (多分、例として「極端な」質問を取り上げているとは思うものの・・・)

そんな様々なバリア故に、「道理的に」インテグレートするのが難しい状況になっているという結論、思わずうなずいてしまった。 これで試験方法・内容など見直ししてくれないかな・・・と思うものの、声は上がってきているのが目に見えて分かるけれど、時間がかかると思うわよ、とオランダ人のご婦人。

きっと、自分が合格しなければいけない3年半以内には、きっと変化はないかな・・・観念して試験を受けるしかないかな。

Monday 15 April 2013

コネクション探し。

相変わらず続く、オランダでの就職活動。

先日のブログでも少し触れたのだが、何故か欧州の企業側・ヘッドハンター側から接触があるかと思うと、勤務先がオランダ以外の国。一方で、こちらからオランダでのジョブポスティングを見つけてはアプライしても、なしのつぶて。本当になかなか話しがかみ合うチャンスが見つからない。まるで、神様が、今は仕事以外のことに集中するようにと仕向けているかのよう。。(オランダ語の勉強?)

それでも自分の経歴に興味を持ち、可能性を見出してコンタクトをくれているのだからと考え、無視される可能性も承知の上、何かしらの理由でコンタクトをしてくれる人にとりあえずお願いしてみていること。それは、オランダでの仕事探しのサポート。その人の所属する会社や、ネットワークを見た上で、お願いの内容は変えているけれど、例えば、将来オランダ勤務が前提でまた似たようなプロファイルの人を必要とする案件に出逢った時に声を掛けて欲しいということもあれば、その人が持つオランダのリクルーターのコネクションを紹介してもらうかなどなど。

そんな訳で、つい先だってコンタクトくれたヘッドハンターにもお願いしてみたところ、こういう企業にアプローチしてみたら?と、つらつらと、お薦めの理由と共に沢山の会社名を書いた返事がくる。また、自分が前職の会社で組み込まれていたグローバルのリーダーシッププログラムを卒業し、オランダで活躍している方々を探し当ててくれ、もう少しこのネットワークを使みてもいいかもよとアドバイス。なるほど。そしてよくよくその情報をもとにリサーチをしてみると、プログラムの参加・卒業時期は違うものの、自分の元上司・同僚とのつがなりを発見。世界は広いようで、狭い!

とはいえ、折角見つかったコネクションや、アプローチ先のヒントは得られたものの、ただやみくもに突撃しても仕方がないので、もう少し作戦を練る必要があるかも。さてどうなることやら。

Sunday 14 April 2013

やっと春?気持ちよいほどの快晴。

今年は、なかなか気温が上がらず、天候も優れない日が続いた、オランダの春。とはいえ、4月に入り、それでも気温は低いが、少しずつ好転。

1週間ほど前から、天気予報で、気温があがると予測されたこの週末。天気予報通り、無事晴れ、そして気温も20度以上までに上昇!待ってましたとばかり、バイク、自転車、お散歩と、方々で人々がグループや家族で外に繰り出す光景。みんな本当に嬉しそう。

そして牧場で忙しい我が家ではあるが、久々に、近くの村にあるお気に入りのビストロまでお出かけ。 アムステルダム・ロッテルダムといった大都市にあるならいざしらず、3000人弱の村ながら、隣にある姉妹店はミシュラン1つ星をとるなど、評判の大繁盛店。夜は予約なしでは入れないこともしばしば。さすがにランチであれば、、、と思ったら。

スイス・ドイツから流れてくる大きな川沿いにあるこのお店。サイクリングコース途中で、見渡しもよいとあり、一元様を含めて、外の席は大混雑!ということで、店内の席でゆっくりとランチ。

ランチ後は、ビストロ近くのDijkをお散歩。何だかすっかり芝生が青々としている。我がパートナー曰く、春は、雨が降り、お日様が照りを繰り返すうちに、冬の間茶色い色になりかかっていた芝生が、色濃い緑になるんだよと。よくよく見ると、我が家のお庭もいつの間にか、綺麗な緑になりかかり始め。

ということで、待ちわびていた春がやっと到来?でも、マダマダ定番の春の花(チューリップなど)は、つぼみをつける手前で、花満開まではもう少し辛抱かな?

Saturday 13 April 2013

王位継承の日に向けて・・・少し盛り上がり?

4月30日に行われる、現在の女王様から、新しい王様(現皇太子)への王位継承。1カ月を切っているということで、連日テレビでも、この当日に関するニュースやら、カウントダウンが始まった女王様の公式活動などが取り上げられている。

今のところの反応は、概ね王室に好意的な感じを受ける。王室反対、共和制への移行を主張するグループもおり、当日はこうしたグループがデモをする場所が指定されたり、警備のために警察だけでなく、軍も出動するらしきことを見ると、少し物々しい部分もあるものの。 

前回の、現ベアトレクス女王様が即位した時は、1980年。丁度、経済の停滞期であり、政府と市民の間の軋轢も大きかったと聞く。その中での式典だったため、アムステルダムでは一部が暴徒化し、騒然とした感じだったらしい。王室反対の思想がある人もいたであろうが、このイベントに乗じて騒ぎになったとか。我がパートナーも、まだ子供ながらに、テレビに映し出されるその様子が衝撃で、その光景が未だ頭にこびりついているらしい。

そのようなひと騒動のなか、即位された女王様ではあるが、王位を退くと発表した時の国民の評価は80%前後がPositive。また今週、ユトレヒトのイベントに訪れた女王様に対し、広場に埋め尽くされた群衆が女王様を称える声援のようなものを送っていたり。その時の女王様の、はにかんだ嬉しそうな優しい笑顔が印象的だった。

ちなみに、オランダの方に聞いたお話では、実は女王様はもう少し前に退位をしようと考えたことがあるらしい。それは、2002年、旦那様であり、これまで女王様を支えてくれてきたクラウスさんが亡くなられた時。ただ、王位継承第一位で、今度王様になるウィレム=アレキサンダー皇太子は、丁度結婚したばかり。また奥さんとなったのが、アルゼンチンの独裁政府の閣僚だった父を持つ、アルゼンチン人のマキシマさん。結婚にあたって物議もあり、最終的に政府から承認を受けたし、マキシマさんもオランダのことを語学を含めて懸命に学んでいるとはいえ、まだこの二人に任せられる状況にないと判断し、暫く続けることにしたとか。

この話を聞いて、はっと思いだしたことが1つ。女王様が退位表明に際して、「皇太子も、皇太子妃も、国の代表になるReadyができた」といったニュアンスのことを、スピーチで述べていたのだが、こうしたくだりがあったからなのかもしれない。

さて、では普通のオランダの人達の生活で、このイベントがどれほど盛り上がり始めているのか。段々とスーパーマーケットで並んでいる製品にも徐々に影響が。 例えば、オレンジ色に色づいたシロップが塗られ、小さな国旗がついたケーキやタルト。またいつも我が家で購入している、コーヒーの赤いパッケージも、いつの間にかオレンジ色に!

とはいえ、まだまだ本格的な盛り上がりはこれからなのかな?

Thursday 11 April 2013

すこーしずつ、春。

異常なほどの寒春の、今年のオランダ。

本来ならば、チューリップなどが咲き始めていてもおかしくないこの頃だが、我がお庭も、周りのお庭を見ても、多少芽が出始めていても、つぼみさえつかない状況。2-3週間、花の開花が遅れているとは聞いているものの、なんとも寂しい。

とはいえ、やっと少しずつ日中日差しが出る日も現れ、芽の先を出した程度だった花々も、少し伸び始め。また少し肌寒くとも咲き始める種類の花は、少しずつ蕾が付き始める。

ということで、そんな様子を少し掲載。







Wednesday 10 April 2013

オランダの「きのこ」農家。

以前に1度、オランダのとある街のマーケットで見つけたキノコ屋さんについて触れたことがあるのだが、何とその生産農家を発見!

日ごろ懇意にしてくださっているオランダ人ご婦人の一人から、「隣村のキノコ農家を見に行く企画があるのだけど、一緒に行かない?」とのお誘いを受け、人生初めて(大げさ!)キノコ農家なるものを訪問。

どうやら近隣の村々のメンバー(50代以上の人達が中心)たちが、月に1回どこかしらに一緒に見学会をしたり、遠足をしたりというイベントをしている一環だったようで、当日農家に出向くと、最終的には20名近くの参加者が集合。そしてはじまりは、簡単なコーヒー・紅茶と、パウンドケーキのおもてなし。 ・・・どこかで似たような光景を見た記憶が、そう、それは昨夏のこと。我がパートナー家族の農場で、やはり羊のブリーダーご一行様が、オランダの北の地域からバスを乗り付けて見学に来た時に、我がパートナー母が同じく、飲み物に、パウンドケーキにとふるまっていたのだ。オランダはこうした見学会みたいなものがよく行われるのかな・・・なんて思ったり。

それはさておき。多少の歓談があった後、やおらキノコ農家の若頭(40代位?)が立ちあがり、簡単に農家の紹介と見学会の進め方を説明。そして実物の様子を見に、キノコの保管&育成場所へ。

我が村に比較的近い幾つかの村で、シャンピオーンと呼ばれる、所謂白いマッシュルームのようなものを生産するようになり、ひと儲けしているらしい(苦労もあるみたいだけど・・・)という話を、我がパートナーからよく聞いていた。 その話もあってか、てっきりこの農家で育成しているのは、シャンピオンかと思いきや、育っているキノコを見ると、どこかで見た形・・・・そう、まず遭遇したのはエリンギ!(オランダでもエリンギと呼ばれていた)

更には幾つかの育成室に連れて行かれると、ますますもって親近感。何と、ナメコ、しめじ(茶と白2種類)、シイタケ、あと名前を忘れたが日本で食べられているもう1つのキノコも。日本ではよくキノコを食べていたけれど、こうして目の前で育っているのを見るのは初めて!当たり前だが、何だかとても新鮮そう。 ちなみに、シャンピオーンと呼ばれている、オランダのスーパーではどこでも置いてある白いマッシュルームは、安い中国産が大量に来ているらしく、採算が合わないのでこの農家ではあまり育ててないとか。

あまりに暫く口にしていないキノコを目の前に、嬉しくて思わず農家の若頭と少しだけ話をしてみる。すると分かったことが、何と自分がとある街で見かけたマーケットのキノコは、この農家の生産品だった。更に、駐在員の方々を中心に日本人の方が多く住んでいらっしゃるアムステルフェーン(アムステルダムすぐ近く)から、日本人の方々がグループでこの農家からキノコを共同購入されているとか。スゴイ!


これだけ目の前で大好きなキノコを見て、ただで立ち下がるわけにはいかず(おおげさ!)、日本で買うのに比べればやはり高くついたけれど、直売だけにマーケットで買うよりは少し安く、幾つかのキノコを購入。 早速お家に帰って、少しずつ料理。とても新鮮なだけに、本当に美味しい! また新鮮なキノコを食べたくなった時に、他の種類も試してみたいな。

ちなみに、農家さんより、ぜひ日本人の方にも宣伝しておいてくださいね~!とのこと。でもWebに情報を載せてよいかまでは聞き忘れてしまったので、もし購入に興味があられる方がいらっしゃったら、ブログページの右上の方から、メールをください! 場所はオランダのまさに真ん中から気持ち東よりのところです。 :)

Monday 8 April 2013

さらにはロックバンドも村にやって来た!

前日のオーケストラに続き、今度はロックの日。この音楽フェスティバルに、オランダでそれなりに有名なロックバンドがライブをしにやって来た。それも、我がパートナーが時折嬉しそうに曲を聞いていたバンドとあり、1週間前から浮足だっていた我がパートナー。

そして当日。この主役バンドが登場する3時間ほど前から、会場が開き、前座バンドが演奏。その間は、すっかり会場は社交場&飲み会の場。。夜の牧場の仕事が終わって、夜10時過ぎに会場に着いた頃には、すっかり多くの若者たちが飲んだくれ状態。そして大人たちも、一部は踊りまくりだったり、陽気にお友達と交流していたり。

こうしてお酒が入っていると、いつもは怖い顔して道を歩いていたり、自分を無視したりする近隣含めた村の若者たちも、多少はフレンドリーになるから面白い。調子に乗って話しかけてきたり、High Fiveを仕掛けてきたり。更には、一緒に踊りに巻き込まれたり。音楽とお酒の力はやはりスゴイ。

そして待ちに待った(若者はそうでもなかったか?)、大御所バンドの登場!会場中が、一緒に踊ったり、大合唱になったり。みんなものすごく楽しそうに、笑顔が絶えない。

こうしたイベントを村の面々がボランティアで実現しているのは、スゴイなと思うと同時に、来年かそれ以降に、自分もボランティアで携われないかな?なんて、うずうずと企み始める。さて、いつの日か実現するのだろうか?

Sunday 7 April 2013

村にオーケストラがやって来た。

この木曜日から週末に掛け、我がパートナーが生まれ育ち、牧場のある村で、年に1回の音楽フェスティバルが開催さる。

村の人達がボランティアで組織してやっているらいしのだが、結構な規模。村の中心にある教会前の広場に、1000人以上は入る大きなテントを打ち立ててコンサートホールとし、連日様々なミュージシャンが演奏。どうも今年で13年目(うる覚え・・・)とのことで、会場設営も、当日の会場での司会・案内などなど、かなり手慣れた感じ。

そして第一日目は、何とオランダ王国空軍オーケストラが出演。最初誘われた時には、「ふーん、ま、行ってみるか」程度(超失礼。。。)だったのだが、会場に行くと沢山の観客。開催地の村だけではなく、近隣の村々からみな繰り出してきているらしい。そしてはじまり。

オランダに来てから、色々な意味で余裕のない生活が続いたので、小さな頃からピアノやフルートを習ったり、大学後にはポップスバンドをやったり、ジャズピアノを習ったりと、常に音楽に触れて育ってきたのに、殆ど生の音楽に触れない状況が続いていた。それだけにどこか生音楽に飢えていたのか、音に迫力があり、リズムもよく、身体が自然にうきうきしてくる。最近まで何かしら鬱々と考えてしまう気持ちから、霧が溶けて一気に晴れた感じに。

また演奏をしている楽団員たち、また時折オーケストラの演奏に合わせて歌を歌っていた歌手の人ともに、本当に音楽が楽しくてたまらないという感じの表情を見せていた。自分が音楽をしていたときは、何となくどこかいつも「うまく演奏できるかしら・・・」のキモチの方が強くて、緊張した面持ちで演奏することが多かった。 でもこうして演奏者が楽しい気持ちで演奏している音楽って、人にも電波するものなんかななんて思ったり。

そんな訳で、気持ちもフレッシュ、更にはやはりいつかまた音楽を一緒に演奏する仲間/グループを見つけて、自分も音楽をやりたいななんて感じる。 いつの日か!

Saturday 6 April 2013

久しぶりの短期お仕事。

オランダ語コースを終えた後、暫く音沙汰がなかった、フリーで行っているお仕事の依頼。オランダに来てから初めてか、すっかりネジが緩んだまま過ごす毎日が続く。これまで請け負ったお仕事の成果が芳しくなくて、今後二度と依頼が来ないのかもとまで想像し少し落ち込みみつつ。

そして今週。さすがに「待ち」ではいけない!と一念発起(!?)し、様子伺いのメールを書こうかと、最後のやり取りのメールを開いたところ・・・・ 情けないながら、案件打診が入らない理由が判明。。自分が仕事可能なスケジュールを送り忘れていただけだった。。

ということで近況報告メールをお送りしたところ、早速案件依頼をいただく!今年に入ってほとんどお仕事せずにいただけに、物凄く仕事をもらえる有難さと嬉しさから、小さな案件だけれど前向きに取り組む。ただすっかり生活のリズムが、牧場&おうちでケアをしている子羊(パトリシア)中心になっていたので、作業できる時間が途切れ途切れ。そしてスケジュール管理力も落ちており、すっかり夜更かし。

フリーで仕事を請けると、会社という組織で仕事をするのと違い、誰かと相談しながら進めていくことができなくて少し孤独感を感じたり、1回1回の成果が次への案件に影響してくるという緊張感がある。でも、あまりネガティブなことを考えすぎず、とにかくいただける案件に感謝して、これからも暫くは頑張っていきたいな。


Thursday 4 April 2013

オランダ移民テスト・・・少し変わる可能性あり?

オランダ永住権取得条件として、パスしなくてはいけないオランダ移民テスト(Inburgeringsexamen) or オランダ語国家試験(NT2)。

これまでのブログでも書いてきたのだけれど、どちらのテストもしっくりといかなさそうなポイントがあり、長きに当たり迷ってきたので半ばさすがに心は決まり始めているものの、受けるテストを選ぶにあたって悩みはつきない。

昔書いているかもしれないが、Inburgeringsexamneに関して、少なくとも自分の周りで”悪評”が高いのが、テストのうちの1つであるスピーキングテスト。受験者は電話を掛けて、電話から聞こえてくる指示に従ってテストを受けるらしい。そして評定もコンピューター。つまり、コンピューターが許容する精度の高い発音ができないと、受からないらしい。そしてこのテストに何度かつまずいて再受験を余儀なくされる人達がいるらしきことは、TVでも特集されていたらしいし、自分の周りでも話を聞いたことがある。

日常の生活では、確かに発音が悪いと通じが悪いけれど、幾つか発音がうまくいかない単語があっても、コンテキストから想像がいったり、伝えよう・理解しようとするお互いの気持ちによりコミュニケーション自体はうまくいくこともあるはず。でもコンピューターがただ発音の精度を判定するとなると、オランダ語でオランダ人と”コミュニケーション”できるかどうかを図るテストをなしていない気がしてならない。

ちなみに噂だけ聞いていたのだけれど、最近模擬テスト(?)を聞かせてもらう機会があった。とある電話番号に掛けると、指示が流れてきて、幾つかのパートに分かれているテストを受けることができる。全くどういうテストか詳細を知らないで聞くと、結構難しい。。オランダ語のレベルとしては、このテストはA2と呼ばれるレベルで、自分はB1というレベルにいるはずなのだけれど・・・と結構ショックを受ける。

覚えている限りでは、1つ目のパートでは、聞こえてきた文章をそのままオウム返しで返すというもの。幾つかは簡単で全ての単語を聞きとって、返すことができたが、時折やけに長い文章を早口でまくしたてられるものもあり、それはさすがに歯が立たなかった。。もう1つは、1・2つの文章が音声で流れてきて、その文章が意味している単語を言いなさいという内容。 これはこの形式に慣れれば、何とか対策は立てられるかも?そして次は、複数のセンテンスからなる話が流れてくるので、それがどのような内容だったかを自分の言葉で説明せよとのもの。これは比較的得意かもしれない。そして最後、もう1つ違ったタイプのテストが出てきていた。(詳細は忘れてしまった。。)

何とかこのテストならないものかと思っていたところ、最近移民関連で発言が多い、Ascher副首相兼内務大臣が、このテストに関して疑問視する発言がニュースで流れる。(ネット上でも記事あり こちら

移民試験を受かっているはずの人達が、実際にはオランダ語が話せないということを問題視していること。(特に、センテンスをオウム返しで答える問題であるというところだけがクローズアップされすぎているが・・・) よってこのテストを改善していきたいと。 ちなみにこのテスト(スピーキング部分だけかな?)、20-30%の合格率のよう。(高い?低い?)

ただ、テレビのニュースでこの発言が流れた際には、「一刻も早くテストを改定!」のようなニュアンスだったと聞いているのだけれど、この記事を見ている限りは、徐々に改善していくといったスタンス。。 確かにこの話をSamenspraakプロジェクトのお相手をしてくださっているオランダ人ご婦人にお話ししたところ、「すぐにとはいっても、"de 2de Kamer"(日本でいう衆議院的なところ)を通過し、"de 1st Kamer"(日本でいう参議院的な位置づけ?)を通って、初めて改定が決まるし、今はこのテストより優先順位が高いと思われる事項が山積みになっているから、実際には改定まで時間かかるかもね」と。

ということで、自分が受かる必要のある残り2年半以内に改定される可能性はどれ位あるか・・・あまり期待せず、早く何かしらのテストをパスしたい!なんて。。

Wednesday 3 April 2013

自分のなかでの人生の優先順位が問われている?

このブログで、オランダでの仕事探しや、その活動を通じてのキモチの揺れ動きを綴ることがあったのが、また心を揺さぶられる出来事が発生。

ネットを中心に自分で求人情報を探ったり、日蘭双方のリクルートエージェンシにサポートをお願いしてみたりするものの、自分からアプローチをかけている案件は全く箸にも棒にもひっかからず。自分の専門と経験と語学力(オランダ語)を考えると、日本で築いたキャリアを維持するのは難しいのかな・・・と感じ、多少職位レベルを変えてアプローチすることも考え始めている。

そのような最中、自分の専門分野で、数々のインターナショナル企業でリーダーを務めた経験を持つヨーロッパベースのエグゼクティブサーチのダイレクターと称する人から1通のメールが届く。とあるヨーロッパのインターナショナル企業が探している人材にマッチすると感じ、コンタクトをくれたとのこと。 ポジションの内容は十分な良いチャレンジができるものであり、かつ企業側がこのポジションをつとめるのに適すると思われる人材スペックは十分すぎるほどマッチ。 すがるような想いでメールを読み続けると、最後に一言。「このポジションは、最初の2年間はパリ勤務。その後、望む国で勤務することになる予定」と。

またしても!実は昨年の今頃、とあるドイツのインターナショナル企業からアプローチを受け、まさにポジションは自分がやりたいと思っていたこと、そして彼らが求める人材スペックとも驚くほど合致するのだが、条件がドイツ南部の本社で勤務すること。エキスパット待遇で、ビザも、家も、車もあてがうと言われたものの、我がパートナーと共にオランダにきたばかり。一緒に過ごすことを優先し、日本での仕事を中断してきたので、離れて暮らることになるオプションはやはり避けようと決め、話しがぽしゃってしまった。

この時には、自分の勝手なイメージなのだが、英語で仕事できる職場が少なさそうに感じたドイツ企業の本社からこうした打診があっただけに、英語通用率が高く、ダイバーシティにもっと許容がありそうなオランダでも機会が見つかるかも!と、残念ではあったが、励みにもなっていた。ただその後の、燦々たる状況に、ただただ自分のマーケット価値のなさに落ち込むばかりとなっていた。

そして今回。落ち込み気味だった自分が、ヨーロッパのマーケットでやっていける戦力として見てもらえたという喜びと自信を取り戻しかけたのだが、何故オランダでは自分を評価してくれる場所が見つからないのか・・・という悲しみもこみあげてくる。

また自分のなかの優先順位についても、改めて考えさせられる。オランダに一緒に移ってくる時には、どんな状況になろうと、キャリアだけでない、パートナーと一緒に築き上げる人生を、と選択したはずだが、自分自身で生活できる術を持てないでいる期間が長くなるほど、焦りも出てくる。悶々としている位ならば、いっそ期間限定だし、この一歩によりヨーロッパに足場ができる可能性もあるし、もう一度キャリアパートに関してのチャレンジを追求してみてもいいのではないか、など。ただ最終的には、パートナーと離れて仕事をするということは、正しい選択でないのでは・・・と思ったこと、またここまでスローなペースとはいえ積み上げてきたオランダ語習得や、オランダ社会に住んでいく足掛かりをストップしてしまうことへの不安などから、断腸の思いで今回の打診に対して、お断りのメールをする。

そして翌日。メールを返信した時点で、気持ちの折り合いをつけていたつもりだったのだが、気持ちがまた揺れる。かつての仕事仲間より、パートナーがベースとする国とは違う国で、キャリアにチャレンジするポジションが得られて、悩んだ挙句に、キャリアチャレンジをしてみることにしたという知らせが届く。 すでに返事をしてしまったが、激しく気持ちが揺さぶられる。 本当に自分は何に優先順位をあてたいのか。

悩みは続く。

Monday 1 April 2013

羊の赤ちゃんを我が家にお迎え。

3月の間、我がパートナー”趣味の”牧場にて、連日ぽこぽこと産まれ続けた赤ちゃん羊たち。前にも少し触れたが、死産も少なく、双子率も高く、比較的順調な産まれ具合で、我がパートナー家族の牧場仲間や羊に詳しいお友達たちから、「素晴らしい!」と言われた今年

とはいっても、残念ながら、「死」という場面に立ちあうことも。それも悪いことは一挙に起こりがちとか。とある日のこと、二人の母羊が出産をしたものの、双子の相方の羊が死産という結果となった。それも1匹は、産まれた瞬間から暫くは生きようともがいてくれていたものの、残念ながら亡くなるという結果に。 もがいている最中、たたかれたり、ショックを与えられるたびに、力を振り絞るがごとく少しもぞもぞと動いてくれるものの、長続きしない。その様子が居たたまれなく、結局自分は看取ることができなかった。

更には、以前に原因不明の病気になった大人の羊。日に日に容体が悪くなり、隔離された場所で看病されたいたのだが、残念なことに、この死産が重なった日に亡くなってしまった。牧場は生の喜びだけに浸れず、本当に大変な場所であると改めて感じている。

そして元気に育っている羊の赤ちゃんたち。今や90匹近くいるのだが、そのうちの1匹がハンディキャップを負っている。後足が曲がってしまっているのと、前足が変形してしまっていて、あまりうまく歩けない。また最初のうちはあまりミルクも飲まず、いつまでも小さいまま。母羊は何と、この弱い子供を育てることを投げ出し(これが自然の法則だとか・・・)、我がパートナー家族&自分が特別にケアをする毎日。 ただ順調に育つ羊に目が行きがちな家族から、「うまく育たないとこの羊のためにもならないから、安楽死させた方がいいのでは」との提案。

でも目の前には歩き方がぎこちなかろうが、頑張って歩き回り、通常の子羊より成長は遅くとも、日に日に少しずつ成長している様子を見て、「私が引き取って育てる!」と申し出る。 いつも世話をしているうちに、ペットのような、子供のような情が移ってしまったのだ。


幸いにも、田舎にある我が家の借家のお庭はそれなりに広いし、巣にできる小屋のようなものもある。ということで、我がパートナーと即席でこの赤ちゃん羊(女の子)のお家を作り、本日牧場から引き取り。名前も勝手ながら、「Patricia」とする。



ハンディキャップがあるのでどこまで育てられるか分からないけれど、無事育つことを願って!