Tuesday 23 April 2013

イスラム教とテロ。

難しい問題なので、未だ自分の考えがまとまっていないなかブログに書くのははばかられるのだが、少し考えの整理のため、書いてみる。

先日英国MBAのクラスメイトの、シリア人の友人が、Facebookに少し前に書き込みしていたコメントを見つける。その内容を見て、複雑な想いを感じた。彼は自分と同じMBAコースに留学し、その後も更にOxford大学に進み、ダブルMaster Degreeを取り、多分彼の国のなかではインテリ層と思われる。また外資系企業で働いていたこともあってか、多国籍なバックグランドのクラスメイトともめることも全くなく、いつも笑顔で人に接する人だった。時折、宗教のことや、対アメリカという点で、普段は穏やかでも、物凄く熱くなってしまう人もいたが、彼は冷静。

ただシリアの紛争が始まって以来、書き込みも少なくなったし、時には正式な本名を出さなく(略語化したり)なったり、非常にSocial Mediaの扱いを気にしている素振りを見せていた。そのようななかで、敢えて書きこんだからこそ、彼の心の叫びなのではと感じた。その内容は、何故世界では、イスラム教徒が関わったことが起こると「テロ」と呼び、同じ人種が起こすと「テロ」と呼ばないのか、と。例えば、ノルウェーで一人のノルウェー人が銃で犯した大量殺人はテロとは呼ばれていない。世界でイスラム教への偏見があると、訴えかけている。

そのような書き込みをみた後に、ボストンでの事件が勃発し、「テロ」と認定される。そこで改めて考えてみる。テロの定義って何だろうか? Wikipediaを引用すると、「恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的目的を達成しようとする、非合法の組織的暴力の行使、およびそれを容認する主義のこと」であり、物理的よりは、心理的な効果を狙ったものとのこと。ただ多少定義にはそれぞれ立場があるようで、アメリカでは国民の安全を脅かすものも入ると。 これらを考えると、イスラム教関係者(それも極端な派)による事件もあるし、目立つものが多いが、イスラム教徒以外の事件でも、このテロの定義に入るように見えるが、テロというよりは「奇異な」事件として処理されているように感じる。

イスラム教に関しては、自分もかつては「怖いもの」と偏見があったのだが、英国留学でできた親友の何人かがイスラム教徒であり、彼ら・彼女たちを通じて、イスラム教への誤解を感じた。真摯に自分の宗教を学び、大切にし、謙虚に・ピュアに生きる彼ら・彼女たち。いつだったか言われたのが、「アラーは、必ず自分の目で聖書を読み、学ぶようにと言っている。さもなくば、誰かのうがった解釈により扇動されて、ことがあらぬ方向に行ってしまう。」と。今起こっていることは、まさにこの状況のように感じる。

イスラム教徒・モスクなのか、この宗教に関して世界の誤解を正していく試みも必要に感じるものの、自分たちの宗教以外に対して全く敬意を払ったり、理解をしようとしない側にも、問題があるように感じる。 世界がおかしな方向に行く前に・・・と思ったり。

2 comments:

Rimi said...

私もテロ=イスラム教徒と結びつける報道には大いに疑問を感じています。今の世の中はなんだかんだ白人至上主義です。国際人と言われている人達は結局白人が作り上げた文化や思考に合わせることで認められている現実など。。。とても難しいトピックで、私自身何をどう書けばよいのかわからず、この程度の返信で恐縮ですが、、、難しい内容をアップしてくださってありがとうございます。

りすねこ said...

Rimiさん

私も感じます・・・白人に部類する我がパートナーでさえ、何かを感じているようです。

一方で、日本の振る舞いにも、日本人ながらに感じることもあり・・・色々未だ自分のなかでまとまりきらないので、細かく書かないですが、どんどん世界がSelfishになっている気がして。。

また自分のなかで整理ができたら、少しずつ小出しに書きますね。