Wednesday 14 November 2012

翻訳仕事の難しさ。

(過去分遡りでアップデート)

ここ最近、受注した仕事に加え、少し身内に複数名病人を抱えていることもあり、いつもより家事が増えたり野暮用がつきなく、両立がきつくなりがち。とはいえ、受注している以上、仕事は最後までやり通さなければならないし、と、途中徹夜になることもありながらも、黙々と取り組む。

ただやればやるほど、出てきた壁。やはり翻訳の基礎的なスキル・知識がなくやっていると、こなれた日本語に翻訳するのが難しいように思う。ただ英語はできます、翻訳するものの中身にはある程度精通しています、だけでは限界がある。全くのど素人がうんうんうなって考え付くアプローチや訳語では、やはりプロとして納品する品質には届かない。

こうした翻訳スキル的なものに加え、日本語の問題。この仕事を始めて、思い知らされたのは、翻訳は誰かが作った文章が元にあるとはいえ、「文章を作る」ということのプロであることには違いないない。よって、豊富な語彙力を駆使し、ある意味美しい文章にし、読む人にストレスを与えない状態にできることが必要。それなのに、日本で生まれ育ち、常に使っていた母国語でこんなに自然な文章を作ることに苦闘するのは悔しいが、言葉に関する自分の力をまざまざと思い知らされる。

少し思い出かえすと、小学校~高校までは、「国語」という教科自体は得意だった。よって、日本語に苦手意識を感じることはなかったのだが、大学3年時、就職活動にあたり、1つやりたいことを見つけた。これは、スポーツ記者になり、全国一般紙のスポーツページなどで、色々なスポーツ選手の背景や想いを踏まえて、ストーリーとして伝えるとか、硬派なスポーツ雑誌で記事を書いてみるなどといったこと。思いつくととりあえずそれに向けて行動をおこしてしまう性分、この時も大手新聞社の論説委員が講師を勤める、文章教室の門をたたき、通った。そこで暫く通った後、講師に自分の想いを伝えたところ、言われたこと。「ある意味で記者になるセンスは備えていると思うよ。1つ目は、『この人なら話をしてもいいかな』と取材相手に思わせる雰囲気・性格を持っていること。2つ目は文章にパワーがあること。(今ではないかも!!)但し、1つ決定的に不足しているのが、言葉の豊かさ、語彙力。想像するに、記者や物を書く人からすると、圧倒的に本を読む量が不足している。もし1年就職浪人して、懸命に自分のところで勉強する気があれば、鍛えてあげられるけれど、どうする?」と。結局、自分の目的は文章を書くことではないように感じ、違う道を選択した。

そして今。この翻訳の仕事をしていて、この時の言葉をくっきり思い出す。当時の決断をした後は、結局そのままずるずると日本語力を鍛える機会を持つこともなく、本を読んだとしても、仕事のためのビジネス関連の本ばかり。 またそれ以外にも、本をあまり深く読んでこなかったことに関係するかな・・・と思うことも色々あり、少し反省。多読するつもりはないけれど、もうちょっと自分のために本を手にとろうかな。

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