比較的よく聞かれる質問 -「都会の生活から離れて寂しくない?」
特に生まれも育ちも東京。更には、最後に住んでいたのは、多少閑静な住宅地であったとはいえ、大都市の喧騒から徒歩圏内。勤めていた処も、所謂オフィス街。通勤時には電車から人が溢れかえり、街も夜遅くまで人の波が絶えない。何か欲しければ、24時間営業のコンビニエンスストアがある。どこかに行きたければ、大概公共交通機関でそれなりにスムーズに移動可能。
そして今。人口2000人弱の、沢山の緑・花に囲まれた村。幾つかじゃがいも、リンゴ、さくらんぼなどを作る農家もいて、直売なんかもしている。ちょっとリッチ目な家庭は、馬・羊・にわとりをペットのように飼っている。殆どの居住者はオランダ人で、通じる言葉はオランダ語のみ。(大都市は逆にオランダ語を使おうとしても、英語で返されるけれど!) 銀行の支店は週3日のみ開店。パン屋さんは午前中のみ開店。最近大きなスーパーマーケットができたけれど、土曜日は7時まで、日曜日はお休み。2-3のレストラン&パブはあるけれど、閑散としている。市役所にいくだけでも、片道40分自転車に乗って繰り出さなければいけないし、大きな街に繰り出すには30分ごとに出ているバスに乗らなくてはならない。(自家用車があれば別!)
何だか本当に、比べてみると、驚くほどの違いがある環境。勿論、日本の家族や友達と会えない寂しさは決してなくなることはない。でも実は、不思議なほど、生き生きしているらしい。何故だろう。
東京で暮らしている頃は、殆ど「空」を見上げない生活をしていたように思う。晴れていようと、雨が降ろうと、毎日決まったように過ごしていく。また忙しすぎて、毎日通っている道で、季節に応じてどんな変化が起きているか(例えば、季節によって違う花が咲いているとか)、気にしたこともなかった。いつも前斜め下の道を見て、歩いているだけ。随分前に、前前職の役員の方に、「上を見て歩くだけで、色々な気づきがあるよ」なんて言われたのに、そんな余裕など殆どなかったように思う。
ここオランダの田舎暮らしでは、常に空の様子を見て、変化の激しい天候に合わせて、行動が決まることさえある。自分の生活もそうだし、牧場もしかり。そんな訳で、随分と空を見上げることが多い。人々もFriendlyな人が多く、通りすがるごとに挨拶をする ・・・ そのためか、斜め前方下ではなく、自然といつも前をまっすぐ見て歩くことが多くなった。また自分たちの家の庭のお手入れや牧場での動物の世話をしていると、「生」や「成長」を意識づけられることが多い。今や自分自身は給与を得られる仕事をしておらず、使えるお金も限られているし、都会での暮らしに比べて、不便なことは沢山あるけれど、どうしても必要であれば、今までとは多少違ったもので代用したり、自分で作ったり。またないならないなりに、楽しむ術も見つけ始めた気がする。
・・・何だかまとまりがつかないことを、だらだらと書き始めてしまったのは、ある言葉が目にとまったから。日本を出発する前の月に買ったAERAをたまたま読み返していたところ、「現代の肖像」というシリーズで、根本きこさんという方の記事が載っていた。地産地消、エネルギー・環境問題などに関わり、現在は沖縄で暮らされている。どんな場所にもPros/Consがあり、どちらが正しいということはなく、それぞれの人がプライオリティーをおくものが強い場所で暮らすことができることが理想なように感じる。 勿論、パーフェクトな場所はないので、特に特徴が強い場所で暮らすには、自分の信念を貫くために、Consといかに向き合うか。
彼女の、「不安はあります。でも電気やガスがなければ、薪を使おうとか、食べ物がなくなったら、玄米を水に漬けて300回噛んでみようとか、やりようはある。これからのテーマは、暮らしの中でどれだけ引き算できるか、ですね」 という言葉がどこか心にひっかかる。自分の場合は、たまたま息今行きついた地であり、生活インフラはしっかりある田舎暮らしではあるが、自分が持っていた常識とは違う世界で慣れ親しんだものが少ないなかで今後暮らしていくなかで、響く言葉であった。
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